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よっぱ、酔っぱ。ただの酒飲みでよっぱなヲイラの戯言です。

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お竜の写真 No6

Category : 歴史

お竜では無いか?と言われている写真の内、井口家から出た立ち姿の写真と同じ物を発見した。


【ここから続き】

「発見した」とは書いたんだが、どこかの蔵とかアルバムでは無く山口県文書館(もんじょかん)のデータベース。

ファイルの場所は、トップ > 各種データベース > 写真3(諸家文書) > 写真3(諸家文書) - 画像一覧表示6ページ目

山口県文書館

写真3(諸家文書) - 画像一覧表示

20100913-1

目録 - 詳細

20100913-2

人物写真   吉富家文書(山口市)159-6

20100913-3

吉富家文書(山口市)159-6」とある。吉富家とは、吉富簡一の生家あるいは吉富簡一家のことのようだ。

吉富簡一について全くヲイラは知識が無いので調べてみると以下の説明が見つかった。

kotobank

吉富簡一【よしとみ・かんいち】

朝日日本歴史人物事典の解説

生年: 天保9.1.19 (1838.2.13)

没年: 大正3.1.18 (1914)

幕末維新期の豪農,地方政治家。通称藤兵衛。周防国吉敷郡矢原村(山口市)に大庄屋吉富惣右衛門と政の子として生まれる。尊王攘夷運動に加わり,慶応1(1865)年長州(萩)藩内に正義派と保守派の争いが起こると,正義派支援のため鴻城軍を組織し,参謀兼会計となった。維新後は政府に出仕したが,明治4(1871)年帰郷,以後地方にあって政府支援に努めた。同12年県会議員となり,初代議長。同16年鴻城立憲政党を結成し,保守主義の立場から漸進的立憲主義を唱え,翌年,『防長新聞』を創刊して政府擁護の論陣を張った。<参考文献>田村貞雄『山口県自由民権運動史料集』

(三宅紹宣)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

1838-1914幕末-明治時代の豪農,政治家。

天保(てんぽう)9年1月19日生まれ。周防(すおう)(山口県)の大庄屋の家をつぎ,尊攘(そんじょう)派とまじわる。井上馨(かおる)を総督に鴻城軍を組織。維新後,大蔵省につとめたが帰郷。初代山口県会議長となり,防長新聞社を創立。明治23年第1回総選挙で衆議院議員(当選3回)。大正3年1月18日死去。77歳。名は篤敬。通称は藤兵衛。

吉富藤兵衛でぐぐると色々でてきますわ。

だが吉富簡一については検索した以上の事はわからないし、何故お竜では無いか?と言われている写真が吉富家にあるのかもわからない。他にも内田写真館で撮影されたと思われる写真も何点かあるようだし。写真の台紙が井桜さんの半身写真のように内田写真館のものなのか、何か裏書はあるのか等々についてはこれから調べます。

多忙に尽き何時になることやら…。

もし何か情報をお持ちの方、調査された方がおられたらご教示ください。

最初だけ「お龍」なのは、TV 等で「お龍」と紹介されている写真について書いたので「お龍」。以降は「お竜」と裏書された写真とそこに写っている人物について書いているので「お竜」。

コメント

素晴らしいー!!

nakaさま
こんばんは!
すごいですね!
よく見つけられましたね。
内田九一撮影の写真に間違えありません。
撮影場所は東京、浅草大代地の内田九一の写真館です。

  • 2010/09/14(火) 01:08:55 |
  • URL |
  • 森重和雄 #-
  • [ 編集 ]

吉富簡一

nakaさま

吉富簡一が明治四年帰郷というのもいいですねぇ、・・・
本当のおりょうさんは明治三年は京都に居ました。
本当のおりょうさんが京都から東京に出てくるのは、阿井景子先生の仮説だと明治四年末頃、鈴木かほる先生の説だと明治六年十月初めになります。

森重 様

全くの偶然なんです。
実は寸心さんのブログで大村益次郎遭難之地についての記事が書かれていて、少し調べたい点がいくつかありました。こちらでもコメント頂いている伊三さんに相談したところ「山口の文書館を探せば何か見つかるかも」とのアドバイスを頂き探していたところ辿り着いたって次第です。
他にも色々と興味深い写真もありますので、見るだけでも結構楽しめました。

さてさて本文に書いた調査ですが、是非とも森重さんのお力をお借りできればと思います。

  • 2010/09/15(水) 19:52:41 |
  • URL |
  • naka #upkHALyQ
  • [ 編集 ]

はい

nakaさま
すぐに飛んで行って調査したいところではありますが、夏休みの調査取材旅行でお金を使ってしまったので、貧乏なんですよね。
まずは問い合わせをしてみますね。

  • 2010/09/16(木) 01:46:53 |
  • URL |
  • 森重和雄 #-
  • [ 編集 ]

12月

nakaさま

ご無沙汰してます。
12月になったら山口に調査に行きたいなぁと考えています。

  • 2010/11/22(月) 01:15:21 |
  • URL |
  • 森重和雄 #-
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森重先生のお龍さんの記事

はじめまして。
TOTOと申します。
以前から、このブログを楽しみに拝見させていただいております。
さて、歴史通5月号(4月発売)に、
お龍さんの写真について、森重先生の研究成果が
発表されました。
そこで、このブログにて新発見された、山口県文書館
にある、お龍さんの立像の事も掲載されておりますね。

  • 2011/04/20(水) 23:10:48 |
  • URL |
  • TOTO #iIGl/SVs
  • [ 編集 ]

TOTO さん

歴史通5月号については早い段階に森重さんから情報提供頂いていました。
又先日同書を頂戴しました。
紹介の記事を書こうと思いながら数ヶ月が過ぎてしまい…。

TOTO さんのご意見・ご感想をお書き頂けるとありがたいです。

  • 2011/05/02(月) 18:54:26 |
  • URL |
  • naka #upkHALyQ
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初めまして

改めて初めまして。TOTOと申します。
暫く書き込みをされてなかったので、心配しておりました。
お元気そうでなによりです。
さて、森重先生の記事を読ませていただいた訳ですが、
いつもながら素晴らしいご考察で感服するばかりでございます。
nakaさんが発見されました、山口県文書館の女性の写真についても、
記事に書かれている訳ですが、私自身どうしても気になることがあり、
ネット中心ですが、調べておりました。
私は、学者でも研究者でもありませんし、めんどくさがり屋なので
お叱りを頂戴しそうですが、ど素人の意見でもお暇つぶしに
聞いていただけますか?
長文になりますので、了解をいただければなるべく要点だけを
まとめて、カキコさせていただこうかなと思います。


  • 2011/05/06(金) 22:55:13 |
  • URL |
  • TOTO #beJgYBGU
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TOTO さん。

いたって元気なんですが、多忙過ぎて時間が無いって言い訳で誤魔化しています。
ヲイラも全くの素人ですし、知らない事ばかりです。まっ、いい加減な研究者の著書を読む限りではプロの世界は意外と甘いのかな?なんて感じる事もありますが。w
エントリーに関連する内容であるのなら、遠慮無くコメントしてください。

  • 2011/05/07(土) 01:14:03 |
  • URL |
  • naka #upkHALyQ
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お礼

nakaさま

こんばんは!
「歴史通」の記事では大変お世話になりまして、どうもありがとうございました。お礼申し上げます。
また、TOTOさまもご購入して頂き、拙文をお読みくださいまして、どうもありがとうございました。
雑誌記事の限られた枚数での記事のため、詳細な部分を要約せざるえませんでしたが、ちゃんとした論考は今度の京都霊山歴史館の紀要第20号に掲載されますので、こちらをお読みくださいますと幸いです。
また、nakaさま、大西先生、川崎先生のご協力にも感謝しております。
今後ともよろしくお願い申しあげます。

大西先生、川崎先生たちの、長年の地元での地道な活動に対しましては、尊敬しております。
両先生方にお会いされた際にはよろしくお伝えくださいませ。

  • 2011/05/07(土) 04:56:35 |
  • URL |
  • 森重和雄 #-
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私の疑問点です。

nakaさんおはようございます。
森重先生はじめまして。いつもブログを拝見させていただいてます。
以後よろしくお願いいたします。
さて、nakaさんが発見された、山口県文書館の吉富簡一関係文書
の古写真群の存在を知って以来、自分なりに考証をしてまいりました。
結果として森重先生の本ブログに対するコメント及び、
歴史通に寄稿された内容について一部分ですが疑問点がございます。
本来ならば、森重先生に直接お尋ねすべきところ、nakaさんのご厚意により、
本ブログにてコメントさせていただく失礼をお許しください。
また、ど素人の私ですので、足りないところがあればご教授いただければ、
今後の研究の糧にさせていただきたいと思っております。
よろしくお願いいたします。
さて、森重先生の主調されるところは、
「吉富簡一の帰郷時期が明治4年なので、吉富家文書に
所蔵されている女性の写真はそれ以前に撮影されたもので、井桜氏所有の
半身像と同じ物が収録された、写真貼の作成時期(明治3年とされる)
にも符合し、よって明治6年に上京したお龍の写真ではない」
が大意だと存じます。
私はまず、吉富家文書所蔵の写真に写る人物を、2つのグループに分けてみました。

◆第1グループ 吉富簡一と直接関係のあると思われる人物

 吉富簡一(本人)
 益田孝(大蔵省、先収会社)
 井上馨(長州湯田、鴻城軍、大蔵省、先収会社)
 伊藤博文(長州)
 杉孫七郎(長州湯田、)
 周布公平(長州、政之助二男)
 周布政之助(長州、吉富簡一邸で自害)
 毛利敬親(長州公)
 山形有朋(長州)
  ※驚いたのは、山口県文書館の請求番号が138及び140の写真が、
   大阪先収会社の役員の記念写真だと思われる事です。(明治6年頃設立)
   前列左から吉富、井上、益田、後列真ん中、藤田伝三郎?
   その他の写真からも、吉富の井上、益田との深い関係が伺われます。
  ※なんで桂さんの写真がないの?
  ※同じ写真の別バージョンがあるのはなぜ?

◆第2グループ 吉富簡一と直接関係が無いと思われる人物(以下請求番号)
 159-1 この人物だけ全くわかりません。
 159-2 昭憲皇太后(内田九一、明治6年撮影)
 159-3 小松宮彰仁親王(内田九一、断髪後明治6年以降撮影)
 159-4 勝海舟(内田九一、明治9年撮影?)
 159-5 有栖川宮熾仁親王(内田九一、明治初年)
 159-6 お龍さん?(内田九一)
ここで疑問が生じました。第2グループの写真のいくつかは、間違い無く、
明治4年以降の撮影であり、吉富簡一が山口に帰郷した後に入手した物と思われます。
入手方法は、①吉富簡一は、木戸の所に良く泊まりに行っていたみたいなので
、(れじーさんによる)その際、東京で買い求めた
②大阪先収会社時代に大阪で買った(大坂に常駐していたかは不明です。)
③誰かに送ってもらった(木戸、井上?)
とか色々可能性が出てまいります。
そうしますと、お龍といわれている写真のみを明治3年以前に入手したという論法は、
成り立たなくなりませんか?
これが森重先生にお尋ねしたい内容です。よろしくお願いいたします。

  • 2011/05/07(土) 11:06:28 |
  • URL |
  • TOTO #-
  • [ 編集 ]

こんにちは!

TOTOさま

こんにちは!

まず先に僕の論点のポイントは、問題の偽おりょうさんの写真は明治3年以前に撮影された可能性が高い。
⇒従って東京にいない本当のおりょうさんであるはずがない。
ということになります。
(最後の頁に「明治三年六月浪花某」と書かれた芸者のアルバムから)

この偽おりょうさんの写真はその後も当然、ブロマイド写真として販売されていたはずですので、TOTOさまのご指摘のとおり、
吉富簡一が明治4年以降に誰からか貰ったりした可能性もありますね。
従って、吉富簡一の写真の方は、この偽おりょうさんの写真が芸者のブロマイド写真であることの根拠に一つということになります。

  • 2011/05/07(土) 16:00:23 |
  • URL |
  • 森重和雄 #-
  • [ 編集 ]

山口県文書館

TOTOさま

山口県文書館の写真全体についてはきちんと考えた事がないので、これから考えてみますね。

吉富簡一は、維新後、明治3(1870)小菅県大属、明治4(1871)大蔵省営繕寮大属、1879〜90山口県会議長、1883鴻城立憲政党幹事、1884防長新聞代表社員、1890.7衆議院議員当選(第1,3,4回総選挙)、1914.1.18死去。
という略歴ですから、明治4(1871)大蔵省営繕寮大属時代に東京でブロマイド写真を入手した可能性はありますよね。

僕は吉富簡一もこの人気芸者・おたつを贔屓にしていたような気がしています。

  • 2011/05/07(土) 16:10:46 |
  • URL |
  • 森重和雄 #-
  • [ 編集 ]

もろもろ

TOTOさま

 ※同じ写真の別バージョンがあるのはなぜ?
⇒これはオリジナルの写真を撮影した時代から、また時代が下がってからも複写写真を作ったからです。
ざっくりいえばセピア色の写真(鶏卵紙)、黒い写真(POP台紙)で、印画紙が違い、複写された時代がこれで違うことが判ります。
例えば、139(鶏卵紙)、138(POP台紙)ですね。

135と137は全く同じ鶏卵紙の複写写真なので、これは何で二枚持っていたのかは、吉富簡一さんに訊いてみないとよくわkんないですね。

※なんで桂さんの写真がないの?
⇒これについては木戸孝允はそうとう偉い人であったことと、木戸孝允と吉富簡一が会ったことがあるのかどうかも、木戸日記などど調べてみる必要がありますね。

  • 2011/05/07(土) 16:31:51 |
  • URL |
  • 森重和雄 #-
  • [ 編集 ]

訂正

すみませんTOTOです。
編集の方法がわかりませんでしたので、
訂正部分を送ります。
先収会社の設立は明治7年3月頃
主調→主張
でした・・・。

  • 2011/05/07(土) 17:56:56 |
  • URL |
  • TOTO #beJgYBGU
  • [ 編集 ]

ありがとうございました。

Nakaさん、森重先生おはようございます。
森重先生、早速のご教授ありがとうございました。
色々と教えていただいたので、胸のつかえがとれました。

今回私なりに色々と調べてみたのですが、
やはり中井弘と井上馨、吉富簡一そして木戸孝允の関係は
気になります。その中から何か出てくればいいですね。
最近は、坂本龍馬の奥さんの写真に「たつ」とか「お竜」とか
乱暴な書き方をするものなのかな?とか考えておりました。
どうせなら「坂本龍馬室」とか「坂本氏妻」とかですよね。
やはり、芸者の「おたつ」というのが自然だと思ったりしております。

今回参考にさせていただいたHPは以下の通りです。
既にご存知の物もあるかと存じますが一応貼っておきますね。

吉富簡一の経歴
http://www.yamaguchi-ygc.ed.jp/otoshi-e/furusato/html/200702.html
先収会社
http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/okada1.html
http://www.mitsuipr.com/history/hitobito.html
http://blog.trend-review.net/blog/2008/07/000771.html
木戸孝允と吉富簡一及び井上馨の関係
http://www.occn.zaq.ne.jp/picadely/gass/siryou.htm

  • 2011/05/08(日) 07:57:26 |
  • URL |
  • TOTO #V7ViHE92
  • [ 編集 ]

追伸

最近出版される龍馬関連の書籍には、
必ずと言っていいくらいに「お龍さん」の
写真の記事を見かけます。
関心の高さが伺えるところです。
私は、nakaさんのブログで、吉富文書の中に
勝海舟とお龍さんの写真があることを見つけて
衝撃を受けました。
いくつかの書籍で「お龍さんに親切だったのは勝海舟と
西郷隆盛と寺田屋お登勢だけだった」とか、
「勝海舟が神奈川の料亭にお龍さんを紹介した」とか、
「勝海舟がお龍さんの兄弟を預かっていた」との記事が
あったことを記憶していたからです。
この写真は、その時に内田九一の写真館で一緒に撮影した物ではないのか?
という事にとりつかれていました。
(森重先生の鑑定されている、この2枚写真の撮影年月日については
承知しております。)
海舟関連の本も読みました。お龍さんの事は何も出てきませんでした。
海舟はお龍さんどころか、龍馬の事もあまり語ってないんですよね。
そこで原点に立ち返り、nakaさんと森重さんのブログをすべて
読み直したところ、一部の作家さんや研究者の書かれている事は、
結構当てにならないものが多いんだなという事を改めて感じました。
(あくまで一部の方です。)
一次資料の検証の大切さが身にしみます。
とりあえずめげずに、吉富文書の写真をグループ分けして、
自分なりに人物鑑定をし、(すべて森重先生が携わっておられる
書籍を参考にさせていただきました)
第2グループの写真は吉富簡一と関係の無い人たちの写真ではないか
という事の結論に至り、もう一度ネットで各所所蔵古写真を
調べてみたところ、(結局ネットですが)
http://lib.ouj.ac.jp/koshashin/meishi.html
このようなページを見つけ「ああこれはブロマイドなんだな・・」
という考えに変わっていきました。
確か森重先生も現物をご覧になられていますよね。
初代内田九一は、芸者とか一般市民を撮影しなかったとか書いておられる
方もいらっしゃいますが、これもあるHPに山ほどありました。
(今はなぜかリンク切れになっていますが、明治4年~5年頃の今まで見た事が無かった
写真が掲載されていました。)
http://image-search.yahoo.co.jp/detail?p=kuichi%20uchida&b=61&rkf=1&ib=63&ktot=0&dtot=0
森重先生はこういう写真も現物をすべてご覧になられたうえで、
古写真の鑑定をされているのだなと思い、書籍ばかりを孫引きしている自分を
恥ずかしく思う次第です。
私も一次史料である山口県文書館に行ってみたいと思います。
ぜひ裏面を見てみたいですね。

長文になりましたが、nakaさんと森重先生に改めて、お礼を言いたいと
思います。

また、何かありましたら書き込みをさせていただきます。




  • 2011/05/08(日) 09:21:21 |
  • URL |
  • TOTO #beJgYBGU
  • [ 編集 ]

拝復

TOTOさま

はい、ずいぶん前のことですが、放送大学(付属図書館管理所蔵)の古写真資料はほぼ全て現物を拝見させていただきました。

明治天皇の写真については僕より東京大学の倉持基先生が専門的に研究されてまして、その辺のことは『英傑たちの肖像写真』の倉持基先生の論考をもう一度読んでいただきますと詳細が書かれています。

  • 2011/05/09(月) 12:18:45 |
  • URL |
  • 森重和雄 #-
  • [ 編集 ]

リンク先訂正です。

前回の私のコメント内にある、

>初代内田九一は、芸者とか一般市民を撮影しなかったとか書いておられる
方もいらっしゃいますが、これもあるHPに山ほどありました。
(今はなぜかリンク切れになっていますが、明治4年~5年頃の私が今まで
見た事が無かった写真が掲載されていました。)

のリンク先が、検索画面の為、画像が
移動してしまうみたいです。
私も、さっきクリックしたらいきなり明治天皇陛下が出てきて
ビックリしてしまいました。
本当に紹介したかったHPはPHOTOGRAPHERという
日本語のページで、上野彦馬ほか長崎の写真師を
主に紹介しておられ、内田九一の写真も
表・裏併せて沢山掲載されていました。
(井桜さんのたつと同じ裏面(台紙)の芸者の写真で、
墨で名前と明治5年の日付もはっきり書いてある
ものがいくつかありました。)
しかしながら、なぜか今はアクセスできません。
Yahooで「長崎の写真師」で検索すると、3番目位に

>長崎の写真師たち PHOTOGRAPHERS OF NAGASAKI (287+11) ... 長崎ゆかりの写真師 市田 左右太 (8)(1) 内田九一 (13)(94) 富重利平 (13)(8) ベアト (4). 参考 同時代の 写真師たち 日下部金兵衛 (1) Kusakabe Kinbei 玉村康三郎 (2) Tamamura Kozaburo ...

とは出てくるのですが・・・
誠に申し訳ございませんでした。

以前、森重先生の関係しておられた(?)、
「KERATUTUKI」というHPもすばらしかった
です・・・。



  • 2011/05/09(月) 21:25:22 |
  • URL |
  • TOTO #V7ViHE92
  • [ 編集 ]

霊山歴史館 紀要第20号

nakaさま
TOTOさま

偽おりょうさんの写真の件は、雑誌「歴史通」5月号と、
http://web-wac.co.jp/magazine/rekishi/201105r
7月初めに刊行予定の京都の霊山歴史館の紀要第20号に論文掲載されますので、こちらもご興味のある方にどんどんご紹介いただけましたら幸いです。

補足

TOTOさま

「KERATUTUKI」というHPもご存じだったとは、恐れ入りました。(ぺこり)
はい、僕の先輩のIさんが古写真研究成果などをまとめていたHPです。
現在は、一般の方も気がついた方が何人か居られたので、一時休止しておりましたが、あくまで内輪のHPとして、また気がつかれないような形で復活しました。

  • 2011/05/12(木) 06:25:58 |
  • URL |
  • 森重和雄 #-
  • [ 編集 ]

内田九一

先日リンク切れになっていた、内田九一を紹介した
HPが閲覧可能になっております。
Yahooで「長崎の写真士」と入力していただき、二番目くらいに出てきます「Photographer」というHPから
長崎写真士の仕事→長崎ゆかりの写真師→内田九一
と入っていただければ、非常に興味深い写真が
見れます。おそらく井桜さんの「たつ」の写真と
同時期の物が多いです。

森重先生へ
「Keratutuki」の復活おめでとうございます。
内輪だけとはいわず、古写真研究の普及のため、
ぜひ広く一般公開をしていただければなと思います。

  • 2011/05/15(日) 21:51:16 |
  • URL |
  • TOTO #V7ViHE92
  • [ 編集 ]

こんにちは!

TOTOさま

「Photographer」というHPは面白いですね。
京都の芸者さんのブロマイド写真も多いですね。

新「KERATUTUKI」というHPは、非公開サイトですので、・・・・

  • 2011/05/16(月) 00:57:04 |
  • URL |
  • 森重和雄 #-
  • [ 編集 ]

久しぶりに書き込みさせていただきます。
先日、宮川禎一先生の「龍馬を読む愉しさ」
を再読させていただいたところ、宮川先生は、
お龍さんの写真と、松本良順の写真の絨毯と腰板の
類似性を指摘されておりました。
すると、過去に「五稜郭」という民放のテレビドラマで、
榎本武揚の妻(良順の姉の娘婿、確か浅野優子さんが演じられていたと思います。)
がなぜか脳裏に浮かび、ウィキペディアで調べてみたところ、全身がしびれるような
感覚に襲われました。
なんとその名前は「榎本たつ(多津)」ではないですか。
ネットで検索して出てくる、榎本たつの写真は別人の様ですが、
この事について今後調査してみようと思います。

  • 2011/09/19(月) 00:05:51 |
  • URL |
  • TOTO #8kSX63fM
  • [ 編集 ]

追伸

このHPでは「榎本多津」とされている女性が
http://www.geocities.jp/isami1331/otomedenn.html
以下のHPでは「伊藤梅子」となっています。
http://homepage3.nifty.com/kosi/wien/up104/up104.html
この女性は「伊藤梅子」なのでしょうか?
「おたつさん」の写真とは全く別人なので、
半ばあきらめかけておりましたが、
少し希望がわいてきました。

  • 2011/09/19(月) 12:34:23 |
  • URL |
  • TOTO #beJgYBGU
  • [ 編集 ]

追伸の追伸

本日近くの書店で「幕末明治の美人帖」を購入いたしました。
↓のHPは、この本の丸写しのようです・・・。
http://www.geocities.jp/isami1331/otomedenn.html
この本に榎本多津として、上記のHPの写真が掲載されていました。しかも(榎本家蔵)となっておりました。
多津は鹿鳴館時代に活躍してるようなので、写真は沢山あるはずですよね・・・。

  • 2011/09/19(月) 21:49:20 |
  • URL |
  • TOTO #V7ViHE92
  • [ 編集 ]

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