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よっぱ、酔っぱ。ただの酒飲みでよっぱなヲイラの戯言です。

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幾松 (いくまつ IKUMATSU)No18

Category : 幾松 (いくまつ IKUMATSU)

京都龍馬会掲示板で知り合った「寸心」さんが、WEB SITE「木戸孝允館」さん内掲示板「松菊掲示板」に幾松についての投稿をされました。
ヲイラも当該スレッドに参加させて頂きましたが、2005年12月12日をもって、掲示板のレンタル契約満了に伴い閉鎖される事になりました。

管理人 orion 様、当該スレッド投稿者寸心様のご好意により、当該スレッドを拙ブログ内に転載させて頂ける事になりました。あらためてお礼申し上げます。

当該スレッドは時系列で編集し、orion 様への返信を追記しています。

【ここから続き】

無題 投稿者:寸心 DATE:2005/12/9(金) 19:55  No.76

orionさん、こんばんは。初めまして、寸心と申します。

12日に掲示板は閉鎖ということで、挨拶に参りました。実は最近、HPを知りました。

全部はまだ読んでおりませんが、小五郎についてなかなかよく調査され、紹介も行き届いた内容で、感心しております。

今後も、HPの充実、楽しみにしております。

では。


初めまして! Re:orion DATE:2005/12/10(土) 22:43

寸心さん、初めまして。

閉鎖間際に書き込みしていただいて、大変恐縮しております。今後は日記のほうの更新につとめますので、お暇な時にでも覗いてみてください。

ゲストルームからのコメントもどうもありがとうございました。早速、ご紹介いただいたサイトを覗いてみましたが、問題の記述がどこにあるのか見つけられませんでした。関連人物と旅行記の京都を開いてみたのですが、「幾松」の写真はあっても、ごく普通の記事でした。5114という数字はどこにあるのでしょう? こちらの掲示板はもう間に合わないかもしれないので、また投稿欄(ゲストルーム)からでもお知らせいただければ、大変ありがたく存じます。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


無題 投稿者:寸心 DATE:2005/12/11(日) 06:52  No.77

orionさん、おはようございます。

件のHPは、「脱!竜馬がゆく」

http://ryoma.ktplan.ne.jp/index0.html

で、

「幾松」についてはその掲示板、「脱!竜BBS」で論じられております。

5114は、掲示板での登録番号になります。

では。


無題 Re:寸心 DATE:2005/12/11(日) 07:27

RESを付ける場所を間違えました。

「脱!竜BBS」の「5114 京都の幾松」について」の中で、幾松について事実を具体的に指摘しているのは以下のnakaさんのHPです。

http://yoppa.blog2.fc2.com/blog-category-13.html


歴史は夢ドラマか? Re:orion [関 東]  DATE:2005/12/11(日) 22:08

幾松の記事、たくさんあったので全部をみていませんが、一部だけ読んでみました。すごいショックです。私、単純にあそこが小五郎の通ったところと信じていました。だって、幾松と過ごした部屋とか、抜け道(テレビドラマでみたことがあります)とか、隠れた長持とかあって――でも、幾松のいた吉田屋というのは三本木にあったとか。ああ、もう場所がよくわからなくなってきました。ただでさえ方向音痴なうえに、幕末の史跡なども今回初めて訪れたので、みな信じていたのですが。旅日記も幾松のところ修正しなければいけないかな。でも、やっぱり信じていたいような気も……。

いったい歴史ってなんなのだろう、と考え込んでしまいました。テレビドラマでいく度も取り上げられてきた歴史人物の英雄像にしても、どこまでが真実を伝えているのでしょうか? すべては一人ひとりの心に映る夢ドラマなのかもしれませんね。今夜やっていた義経と弁慶にしても。

私はこれからも、木戸孝允の真実を一生懸命伝えていこうと思います。たとえ大勢の眼がほかの英雄たちに向いていても。彼のドラマを観る観客がたった一人になっても。


無題 Re:寸心 DATE:2005/12/11(日) 23:26

orionさん、こんばんは。小生は明日からは出張なので、これが最後の投稿になります。

もうお分かりかと思いますが、京都市が立てた駒札が東三本木にあります。

いずれにしろ、小五郎・幾松の話は、「料亭大和屋(吉田屋→清輝楼→大和屋)」での出来事。今はその場所は駐車場になっていますが、色々な変遷は経たものの大和屋旅館は1997年までありました。この場所に鴨川への抜け道があったとの事です。今の持主は、歴史を知らず、駐車場にする時に抜け穴を壊してしまいました。今は大変後悔していると聞いています。

ここは清輝楼時代は、立命館が仮校舎として利用したこともあったようです。

歴史は何が正しく事実なのかは、時代により変わります。従って「史実」は、自分の目で確かめるのが一番と思っています。ただ所詮、自分の限られた範囲での史実なのですが。


無題 Re:naka DATE:2005/12/11(日) 23:53

「よっぱ酔っぱ」管理人のnaka です。はじめまして。

orion さん wrote

> すごいショックです。私、単純にあそこが小五郎の通ったところと信じていました。

折角の良い想い出を台無しにしてしまったようですいません。ブログにも記載しましたが、一番の被害者は、捏造された歴史を信じ、対価を支払い利用された方です。個人的には「詐欺」に該当しないのか?とさえ思っています。

現地「幾松」が小五郎の通ったところである可能性は「0」ではありません。可能性としてはあります。ですが当時のまま保存しているとか、創業180年だるとか、その他もろもろの話は全て捏造されたものです。

歴史は一つだと思います。商業ベースで小説、演劇、ドラマ等で脚色する事は何ら問題は無いと思います。ですから必要なのは、しっかりした歴史検証の上、現状判明している真実を知る事だと思います。その上で脚色されたものとしてそれぞれが楽しむ事ができれば良いんだと。

寸心 さん。ご紹介いただきましてありがとうございます。

一部補足説明をしておきます。

> この場所に鴨川への抜け道があったとの事です。

これは鴨川に面した家屋であれば、どこでもあるんです。

現在、床を営業されているお店の中でも、昔からの建物であればどこにでもあります。抜け道では無く勝手口ぐらいに理解して頂くほうが良いと思います。

大和屋さんの御家族も交流があります。現在は他の仕事をされてますが。

> 従って「史実」は、自分の目で確かめるのが一番と思っています。ただ所詮、自分の限られた範囲での史実なのですが。

仰るとおりだと思います。WEB という便利な世界があるのですから、寸心様のように「史実」を検証されている方々が、情報発信して頂く事を切に願っております。


なんだか複雑な心境…… 投稿者:orion DATE:2005/12/12(月) 15:56  No.78

nakaさん、はじめまして。

ただ今、外出からもどりました。わざわざご連絡いただき誠にありがとうございます。

どうも信じがたいことですね。創業180年などという嘘はすぐにばれると思うのですけど、非常に軽卒な気がします。私としては、なんだか複雑な心境です。旅館のオーナーは最初から営利だけを考えて、「幾松」という名を利用したのでしょうか。それとも、幾松と小五郎がとても好きで、二人を慈しみ、大切に思う気持ちが嵩じて、行過ぎた宣伝になってしまったということはないのでしょうか。そう思いたいという私の願望なのですが。たとえ、すべてが嘘にしても――。こんど京都に行くときは「幾松」に泊まろうと思っていたので、非情に残念です。いずれにしても、情報をどうもありがとうございました。本掲示板は本日をもって閉鎖になりますが、また、なにかございましたら、投稿欄(ゲストルーム)からでもご連絡いただければ幸に存じます。改めてお礼申し上げ、貴ブログの益々のご発展をお祈りいたします。また、お伺いさせていただきますね。




> どうも信じがたいことですね。創業180年などという嘘はすぐにばれると思うのですけど、非常に軽卒な気がします。私としては、なんだか複雑な心境です。

180年ってのは、人気TV 番組「料理の鉄人」に、幾松の板前が出演したときから180年になりました。それまでは、100年であったり、120年であったり、その時々で創業年数は色々でした。メディアが如何に適当な内容で放送しているのかって事ですよね。180年前と言えば1825年(文政8年)岩倉具視、大村益次郎が生まれた年です。木戸孝允は、その8年後の1833年ですよね。全く何考えているんだか…。


> 旅館のオーナーは最初から営利だけを考えて、「幾松」という名を利用したのでしょうか。それとも、幾松と小五郎がとても好きで、二人を慈しみ、大切に思う気持ちが嵩じて、行過ぎた宣伝になってしまったということはないのでしょうか。そう思いたいという私の願望なのですが。たとえ、すべてが嘘にしても――。

正直「幾松」って屋号にしたいきさつは、創業者に訊かなければわかりません。前地権者の方からお聞きした話では、創業者はどうしても京都で商売をしたかった為、探し回っていたそうです。最初は二条大橋東詰に「二条荘」って旅館を創業され、その後現施設を購入されたようです。

近隣にある骨董品店店主に「掘り出し物があれば随時連絡してください」と頼まれ、相当数の骨董品を購入されたようですね。その骨董品店も判明しているんですが。

現施設購入まで約2年ぐらいの月日がありましたので、その間に地元の歴史等も研究されたのでしょう。直ぐ近くに長州藩屋敷(現京都ホテルオークラ)があり、通りの向かいには「大村益次郎卿遭難碑」「象山先生遭難碑」があるロケーションですから、維新、幕末に関係させれば良いって判断だったと推測します。

これは京都の中でも地元を知る方で無ければご理解頂け無いと思うのですが、屋号の付け方自体にも、少し違和感を感じます。当時の旅館は「*****楼」「旅館****」「****屋」って屋号ばかりでした。例えばヲイラが飯島って性のオーナーであれば、「飯島楼」「旅館飯島」「飯島屋」って屋号になります。

そんなの自由ちゃうの?って思われる方も当然おられるでしょうが、そこは京都。無関心のようで周りからかけ離れた行動は快く思われない閉鎖的な土地です。又、当該地は政財界の方が、所謂お妾さんを住まわせていた場所であったり、映画全盛期に映画関係者が多く住んでおられた土地でもあります。そこには当然花街の感覚や、映画界の封建的な感覚がそのまま反映されていた事になります。

その土地でいくらヲイラが「飯島直子」の大ファンであっても、屋号を「直子」とするはずも無く、それを平気でつけられるのは地元以外の方でしか考えられません。事実幾松創業者は大阪八尾から京都に来られた方ですから…。

「なんでお前がそんな事知っているのだよ!」そう思われて当然です。
今まで記載する事を迷っていましたが、前地権者の店子であった「ファッションスクール」の理事を祖父が長年務めていました。その関係で父が幼少の頃は毎日ファッションスクールが遊び場でした。又現在も前地権者の方とお付き合いがあります。祖父が理事であった頃の町並みの写真等も多数所持しています。

もし幾松の主張、発信される事実が真実であるのなら、祖父、父、そしてヲイラの歴史は存在しない事になります。言わば存在自体を抹殺されたのも同じです。「別に構わないよ」と言えるほど、まだ大人ではありません。

> こんど京都に行くときは「幾松」に泊まろうと思っていたので、非情に残念です。

多くの方が不利益を被っている現実があります。幾松を利用された経験のある orion さんも、もちろんその1人です。一方で捏造した歴史により対価を得ている「幾松」「大手旅行代理店」「マスコミ」その他多くの方、法人があります。

これってどう考えてもおかしいですよね?皆さんどうおもわれますか?是非コメントをお寄せください。
m(__)m


/* 追記@2005/12/16 17:20 */

大和屋、幾松、木戸邸の場所を「マピオン」で紹介します。

大和屋

# 古いデータで残っていた…。ラッキー!

木戸邸
「厚生会館職員会館かもがわ」が旧木戸邸です。
直ぐ下にある「銅駝(どうだ)美術工芸高」の前身が「銅駝中学校」その前身が「銅駝小学校」
「銅駝小学校」の初代校長が木戸孝允です。

幾松


これまで拙ブログでも吉田屋→清輝楼→大和屋って流れであると書いてきたけど、間違いである事が判明したので訂正します。(2009/06/03(水))参照:吉田屋・清輝楼・大和屋

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