Category : ぼやき
山口県光市母子殺害事件の差し戻し控訴審第1回公判が開始された。記者会見で本村さんは「この国の最高刑で被告は償ってもらいたい。その最高刑が、わたしの考えている命をもって償うということと合致している」と極刑を求める考えを強調していた。【ここから続き】
いつも本村さんの報道には釘付けになってしまう。それはわかりやすく心に響くから。同時に「本村洋」って名前を見るたびにこのブログを思い出す。【世に倦む日日】
「本村洋の復讐論と安田好弘の怠業 − 山口県光市母子殺人事件」
99年一審求刑直後ニュースステーションに出演した時の事が書かれている。
「もし犯人が死刑にならずに刑務所から出てくれば、私が自分の手で殺す」との殺人予告はニュースでも大きく報じられた。
ブログでは本村さんの死刑に関する考えが記されている。
世に倦む日日本村洋の復讐論と安田好弘の怠業 − 山口県光市母子殺人事件
死刑は廃止してはならない。死刑の意味は、殺人の罪を犯した人間が、罪と向き合い、犯行を悔い、心から反省をして、許されれば残りの人生を贖罪と社会貢献に捧げようと決心して、そこまで純粋で真面目な人間に生まれ変わったのに、その生まれ変わった人間の命を社会が残酷に奪い取る、その非業さと残酷さを思い知ることで、等価だという真実の裏返しで、初めて奪われた人の命の重さと尊さを知る、人の命の尊厳を社会が知る、そこに死刑の意義があるのだ
又こちらでは道義的責任論について書かれてる。
世に倦む日日本村洋の道義的責任論の説得力 − 最高裁差し戻し判決を寿ぐ
罪を犯した人間は法的責任とは別に道義的責任がある。法的責任を全うするのは当然で、しかしそれとは別に、道義的責任から逃れることはできない。そして道義的責任を果たした上で法的責任を果たさなければならない。二つは違う。両方の責任を正しく果たす必要がある。この場合、本村洋が被告人の福田孝行に対して求めている道義的責任の遂行とは、自分の犯した罪と正当に向かい合って、心から反省する人間になるということだろう。そして、心から反省した上で法的責任を全うすべく死刑を受け入れよと言うのである。
これほどまでに理路整然と主張できる人って弁護士にも政治家にもいないんじゃ無いかと思う。決して押し付ける話し方では無いし、考えさせられ納得する内容。
大沢孝征弁護士(テレビの力の人ね)が「並みの弁護士では太刀打ちできないほどの法律知識と弁論能力を持っている」と称揚したってのも納得する。
控訴審が結審するまで後何年必要なんだろうか。判決が仮に無期懲役になった場合、本村さんの言葉を上回る判決文で国民を納得させる事ができるのだろうか。




