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よっぱ、酔っぱ。ただの酒飲みでよっぱなヲイラの戯言です。

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京都の江戸時代をあるく

Category : 歴史

京都民報が発刊している「週刊しんぶん 京都民報」で、歴史地理研究者 中村武生氏が連載されていた、「京都の江戸時代をあるく」全53話のコピーをもらった。


【ここから続き】

寺田やのウソをかなり詳しく書かれているし、それ以外にも興味深い内容ばかり。幕末に興味のある人は是非読まれる事をお奨めします。京都民報に連絡すればコピー入手できるんじゃ無いかな?

っで第31話から第37話までが「河原町三条界隈の史蹟」として書かれているんだけど、最終37話で長州ゾーン、土佐ゾーンとして図解されている。

吉田稔麿定宿跡、久坂義助住居跡にはそれぞれ(この付近)と書かれているんだけど、大村益次郎定宿跡については何も書かれていない。そのまま見れば、確定しているとして書かれているように思うんだけど、実際のところ中村さんの調査で判明しているのかな?

少なくともヲイラが知る限りでは、現在の位置に碑が無かった事だけは確か。だから確定できないって状態なんだわ。もしも、もしも、確定であるのなら、それを基に小五郎・幾松の住居も特定できる可能性が非常に高いんだわ。(旅館幾松がウソであることは、カテゴリー順番に見てください。笑うしか無いぐらいのウソばかりだから。)

もちろん(この付近)ってのが他に付いていなければ、なんとも思わなかっただろうけど、付いているだけにちょいと疑ってしまう。

中村さんのブログにコメントかTB 送信しようと思ってたけど、どちらも停止されているや。もし偶然検索なんかで中村さんがこのエントリーご覧頂く機会があったら、是非ともコメントください。

コメント

中武君に繋がるネタは石田孝喜氏で(京都人ではない)、岩倉三縁寺さんの6/4の池田屋事変法要によく来ていました。今もかは分かりませんが。
木村さんを初め、石田氏にはぱくりが多い。寺井さんの文章丸々そっくり書いた史跡書にはがっかりです。
以下、古くからの京都に住む友人からのメールを記します。
来年の大河ドラマ、龍馬にちなみ、伏見のまち歩きツアーが始まるようで、そのご案内人のひとりが中武氏。

彼はそのような会でよく案内・解説しているようですが、無知の人に対し『なんやこんなことくらい知らんのか』と小ばかにしたような態度はやめてもらいたい。中村武生著『京都の江戸時代を歩く』は未購入、書店にて立ち読み程度なので、論評を加える立場にありませんが、さきの『御土居堀』造語の傲慢な態度。
新聞連載、自著、論文発表、引用書籍雑誌などの掲載による活字化による造語の既成事実の積み重ねにより、してやったりのしたり顔の当人の顔が目に浮かんでくる。

誰も異議を唱えないのもノーテンキな話であるが、このような愚行が容認されるほど世の中甘くないと思われる。

龍馬暗殺の件、「維新史の知識が希少なうえ、史学の史料批判の技術を習得していないといわざるをえない …」とは呆れた話。
「史料批判の技術の習得」とはなんぞや!
批判の技術の習得ではなく「史料の正しい読み方の習得」でしょう。

自己の主張が正しいと言い切れる、納得させるだけの根拠があればいいが、それもなく手段でねじ伏せるようなやり方では共感が得られる訳もありません。

緻密な調査研究を積み上げてきた先人の歴史学者が過去に多くいますが、そのひとたちにたいしてもポッと出の研究者がメディアや媒体を利用しての冒涜ですかなぁ。

と云うところで同感です。
それだけによっぱさんの顕彰は素晴らしい限りです。
応援します。

梅田雲濱縁戚の大西さんは良い方です。元平安高校の川崎先生は女性に………。
サイトを活用させて貰ってもいいでしょうか。
顕彰のために、事実と嘘と虚構と創造を見極める歴史ハンターを育てましょう。

  • 2009/05/18(月) 22:40:07 |
  • URL |
  • 伊三 #-
  • [ 編集 ]

149回忌池田屋事変法要に行ってきましたよ

友人に連れられて、岩倉三縁寺さんの149回池田屋事変法要に出かけて来ました。

相変わらずの参加は、88歳の石田孝喜さんに、中村武生さんの顔ぶれと大高さん、京都竜馬会の奥さん、他ご夫婦等で計8人でした。

中村さんが、石田さんに久し振りです、と声をかけられて、近々の自作の池田屋本を渡されていました。

「川崎が…」とか「以前の維新を語る会には無理やり入会させられた…」「寺井の息子は…」等、呼び捨てで維新語る会の悪印象を2人で語っていました。
知恩院修行学生時代の住職も知り、少し懐かしく住職と語る友人が、高校生時代の中村さんも知っていて、偉くなったなあ、と声をかけると、じろっと睨んで立ち去ったそうです。

普通なら「はあ、そうですね、先輩方や皆さんのお陰で…。そうですか、勉強している頃の昔、どこかでお会いしましたか」
位は、普通なら世間的にするのではないでしょうか。

もし、こんな感じだったら、中村さんの知り得ない古高さんのご子孫や、門外不出資料を教えてあげるのに、と友人はぼやいていましたが、でも、若い頃からそうだったので、予想通りだったようです。

よく観察すれば、偉くなって、人相も悪くなったなあ、目を見て話さな

  • 2012/06/05(火) 08:23:26 |
  • URL |
  • 鳥追い姉 #-
  • [ 編集 ]

Re: 149回忌池田屋事変法要に行ってきましたよ

鳥追い姉 さん

コメントありがとうございます。
最終部分が切れておりますので、又アクセス頂いた際にでも追記ください。

> 「川崎が…」とか「以前の維新を語る会には無理やり入会させられた…」「寺井の息子は…」等、呼び捨てで維新語る会の悪印象を2人で語っていました。

これが事実であるなら、ひどい話ですね。
大の大人が「無理やり入会させられた」なんて、自身の軟弱ぶりをカミングアウトされているならお好きにどうぞですがね。
でも無理やりにしては、機関誌『鴨の流れ』の編集委員を積極的に担当されていたのは、どうしてなんでしょう。
中村氏にしても寺井氏の資料をご子息から頂いた旨、語っておられたはずなのに。もっともご子息は「突然押しかけて来て、父の資料を勝手に持っていかれた。」といった話もされていたようですし。
石田氏も高瀬川研究に関して「第一人者」と賞賛されていますが、こちらも「京を語る会」の田中緑紅先生、ご子息である康彦先生の資料を勝手に使用されているに過ぎません。
両氏の現在があるのも先人達の研究があってこそですから、勘違いも甚だしいですね。
川崎先生については久坂恵一氏との問題を、当事者では無い石田氏が詳細を理解・確認しないままあれこれ言っておられるのですから、始末に追えません。

> もし、こんな感じだったら、中村さんの知り得ない古高さんのご子孫や、門外不出資料を教えてあげるのに、と友人はぼやいていましたが、でも、若い頃からそうだったので、予想通りだったようです。

お書き頂いているご友人は、きっとヲイラの友人と同じ方だと思います。古高さんのご子孫や、門外不出資料をご存知の方は、たぶんあの方だけでしょうから。

中村氏については、(http://yoppa.blog2.fc2.com/blog-entry-549.html)の「(旅館幾松が)孝允の没後、木戸松子のついのすみか、すなわち終焉地がここである可能性は高い。その根拠は、ちかい将来、どういう形になるかわからないが、必ず公表したいと思う。」が実現され納得できるものであるか、あるいは「結論を申し上げると、調査成果は妥当と判断した。すなわち、「幾松」は「観光偽装」とはいいがたいということである。」との発言を撤回される以外は、認める気は無いです。

ヲイラから言わせれば、槇村の仲介で購入した5番路地の木屋町寓居と、木戸公没後松子夫人が暮らした13番路地、あるいは終焉地である18番の寄留所のどれが最も可能性が高いかと言えば、5番路地の木屋町寓居。それ以外はほぼあり得ない。それをよく調べもしないで「木戸松子のついのすみか、すなわち終焉地がここである可能性は高い。」なんて平気で書くのは、屋号を「幾松」としたため後に引けない旅館から鼻薬をかがされたのかな?と疑うしかない。

13番路地であると確定すれば、その時点で木戸公は一切関係なくなるし、どちらにしてもこれまで旅館幾松が発信してきた情報はうそであったと認めるしかなくなる。つまりそれは観光偽装と呼ばれる行為であったことを自ら認めることになるので、この時点で上記中村氏の考えは矛盾してしまう。

結局は安易に書いたブログが開けてはいけない箱を開けてしまったと気付く事になるんだろうね。

  • 2012/06/05(火) 14:43:01 |
  • URL |
  • naka #upkHALyQ
  • [ 編集 ]

池田屋三縁寺さんの150回忌法要

今年も巡り来た三縁寺池田屋事変法要、参列の多いのも大変と、特に彼岸会法要以外お知らせもしていない、と第30世ご住職が仰って迎えた150回忌法要は、25名の参列者でした。

30数年ぶりの京都維新を語る会・大西元会長(梅田雲濱を中心とする幕末維新研究家)を始めとして、今回の150回忌法要に際し、池田屋入江惣兵衛ご子孫の入江吉治氏の参列に花がありました。

その入江氏に、今頃になって自慢の自著を謹呈した自称歴史地理学者さん、昨年の事があったのか、何やらばつが悪そうに、遅い参来でした。

本来なら、自著にも資料援用して世話になった大西元会長に自分から挨拶の声をかけるべきなのに、大西元会長から、一人端でポツンといるその学者さんに声かけたそうです。

相変わらず、礼を失していなくもながです。
先達の年配者に自分から声をかけるのが筋でしょう。

昨年のこの書き込みを見て、参列された若い三人さんがいました。
お一人は外国の若者、大阪大学の学生ではない大阪大学博士号の、お寺、古墳等歴史好きでした。(ハリポタの主人公みたいでした)

今日も、その学者さんが来てますよ、と教えて上げたら笑ってました。

上げたらついでに資料を見せると、写して良

  • 2013/06/05(水) 13:47:08 |
  • URL |
  • 初代鳥姉さん #-
  • [ 編集 ]

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