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よっぱ、酔っぱ。ただの酒飲みでよっぱなヲイラの戯言です。

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幾松 (いくまつ IKUMATSU)No27

Category : 幾松 (いくまつ IKUMATSU)

先日寺田屋の情報が削除された「京都市観光文化情報システム」で幾松について調べてみた。


【ここから続き】

左カラムの検索システムで「いくまつ」と入力すると幾松のページがHIT する。

京都市観光文化情報システム

幾松

  • 総室数13室(和室11室・和洋室2室)
  • 宿泊料金(1泊2食付、要予約、税金・サービス料込)21000円~
  • ご会食・ご商談・クラス会・お茶会・ご婚礼・ご結納・ご法事等各種宴会のお集まりにもご利用ください。
  • 詳細は当館公式ホームページ http://www.ikumatsu.com/ (日・英・韓・中・仏・独語対応)をご覧ください。

まっ、旅館としての情報だけなんで、何ら問題無いだろう。

果たしてこれだけなのか、色々探ってみると、木戸孝允のページに辿り着く。

京都市観光文化情報システム

木戸孝允

幕末・維新の政治家。通称桂小五郎。明治維新三傑の一人。長州藩出身で、吉田松蔭門。坂本龍馬の尽力で西郷隆盛らと薩長連合の盟約に成功、討幕の中心として活躍。維新後は版籍奉還、廃藩置県を推進。上京区土手町通竹屋町上ルの邸宅で没。邸宅跡に立札。また同区東三本木通丸太町上ル大和屋旅館(旧吉田屋)に桂小五郎の隠れ部屋、地下道。妻松子は三本木の元芸妓幾松。墓は東山区、霊山。1833(天保4)~1877(明治10)

ほぉ。東三本木の大和屋についてちゃんと書かれているやん。隠れ部屋ってのはにゃんともだけど。(w

これは以前幾松 (いくまつ IKUMATSU)でも紹介していたし、以前大和屋前にあった吉田屋の駒札とも一致する。

吉田屋跡

ここは維新史跡の料亭吉田屋の跡である。

幕末のころ、桂小五郎(後の木戸孝允)をはじめとする討幕派の志士たちが密会した場所として知られている。

元治元年(一八六四)蛤御門の変で敗れた長州藩が、その後勢力を挽回しようとして種種秘策をめぐらし京洛に潜伏した。こうした中で乞食に身を装って世の動静を探っていた桂小五郎が勤皇の志士と密会中新撰組に襲われ、幾松(後の松子夫人)の機転で「ドンデン返し」の裏階段を通って地下道に降り鴨の河原へ遁れて事なきをえたと云われている。

この地下道は鴨川の増水による浸水を防ぐため工夫された頑丈な石造で、いまなお昔の面影を偲ぶことができる。

京都市

ここまでは良かった。何も問題無かった。

ところが、もう少し探っていると木戸孝允邸宅址のページに辿り着く。

京都市観光文化情報システム

木戸孝允邸宅址

木戸孝允は長州藩出身の明治維新の政治家。天保4年(1833)生まれ、桂小五郎とも称し、のち木戸姓に改める。吉田松陰の門下生で、西郷隆盛、大久保利通らとともに尊王攘夷、討幕運動に指導的役割を果たした。

文久年間から慶応年間の京都の政局は主導権をめぐり激しく動いていた。その中心は朝廷であり御所を核に公卿屋敷が政治の拠点でもあった。この木戸旧邸は、その拠点の一隅に位置し、近衛家の下屋敷を譲り受けて別邸となしたもので木造二階建であった。

明治10年(1877)5月19日、病気療養中の木戸に明治天皇の行幸があったが、同月26日薨去、享年44歳。

妻、松子は尊攘運動のころ、木戸を庇護した芸者幾松である。夫妻の墓は東山の霊山にある。中京区末丸町

文字だけでなら問題は無い。ところが最下部に記載されている「芸者幾松」の幾松の部分に、最初に紹介した旅館幾松のページへのリンクが設定されている。これでは木戸を庇護した芸者幾松と旅館幾松が関係している事になる。

全く深い意味は無く、「はてな」のように登録されている文字列に関しては、自動的にリンクが設定されるシステムなのかもしれない。しかし、それは言い訳に過ぎないと思う。

寺田屋ページの削除について京都市産業観光局はJ-CASTニュース の取材に対し「事実を確認するまで載せない」と回答しているのであれば、芸者幾松と旅館幾松が関係していると事実が確認できるまでは削除するべきだろう。

ついでに書いておくと寺田屋の疑惑を知らずにいたのか?との問いに「話を聞いたことはありました。しかし民間の建物だったことと、ご存知のように京都には神社、寺、文化財と星の数ほどの観光資源があり、市がすべて調査することはできません。各施設が責任をもって管理していただかないと」と回答しているが、どうなんだろう。

確かに全てを調査することは無理。民間が独自に発信している情報や掲げた案内板なんかを、行政が調査し取り締る法的根拠があるのかどうかは勉強不足で知らない。

各施設が責任をもって管理することは当然だが、そうであるなら行政が発信する情報については行政が責任をもって管理すべきだろう。責任を負えない情報であるのなら行政サイトで紹介しなければ良いだけだと思う。

捏造した歴史で詐欺とも思える行為を続ける施設に、行政がお墨付きを与えているとなれば、詐欺を幇助しているとも取られかねない。果たして行政は責任をもって管理していると言えるのだろうか。


これまで拙ブログでも吉田屋→清輝楼→大和屋って流れであると書いてきたけど、間違いである事が判明したので訂正します。(2009/06/03(水))参照:吉田屋・清輝楼・大和屋

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