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よっぱ、酔っぱ。ただの酒飲みでよっぱなヲイラの戯言です。

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路地について。

Category : 歴史

あれこれ調べている中で興味深い資料を二つほど見つけた。どちらも**番路地に関するもの。


【ここから続き】

一つは一次資料を見ていないので間違いでは?って状態だが、もうひとつはかなり信用できそうな明治18年ごろのもの。後者が正確なものであるなら、現幾松は13番路地でも18番地の寄留所でも有り得ない。前者についても一部記述間違いと解釈すると、辻褄が合いそうな気がしてる。それ以外にも18番地周辺の興味深い情報もあった。いずれも幾松・木戸孝允関連のキーワードでは出てこない資料。

でもって、ふと思い出して確認したんだけど、昭和10年に浄瑠璃世界社から出た石井琴水さんの「伝説の都」って本がある。その中の「鴨東鴨涯の巻」の中で次のような記述がある。

伝説の都 鴨東鴨涯の巻

幕末の木屋町

膝枕で幾松の『京の四季』

所でこゝに吉富と云ふ其頃名代の席貸しがあつた。此所は長州の河原町邸の近くでもある所から常に志士の適當な寄合場所として、桂小五郎や井上門多は毎も下郎の俊助を伴に連れてしばしば會合してゐたから、世間では其家を長州の下屋敷のやうに思つてゐた。

~中略~

此小五郎が後の木戸孝允公で、幾松はその夫人松子。門多は井上馨候。下郎の俊助は伊藤博文公である。そしてその吉富が今の新三浦で、其家には血潮の飛沫を受けた天井、見張り窓(それとも町家の臆病窓)や抜け穴さへあって、當時の凄惨な有様を如実に物語つてゐるが、尚前庭にある百日紅は故小松宮殿下がお手植になったものだと云ひ傳ふ。

これって面白おかしく脚色されてるから、とてもまともに信用できない。第一臆病窓が見張り窓になったり、鴨川への通路が抜け穴と呼ばれたり、当の新三浦さんが「無かった」と証言されている「血潮の飛沫を受けた天井」が現れたりしてるもんな。っで誰がそこで斬られたの?(w

確かに新三浦の場所が吉富であったようだけど、まさかこれを以って現幾松の話と結びつける事は到底無理。それ以外の部分でも「は?」と感じる記述があるので、これは歌舞伎か講談かは知らないが脚色された読み物だろうな。会話部分なんかまるで聞いていたかのように書かれているもの。セリフと思えば良く出来ているけど…。

終焉地って事で前回は書かなかったけど、木戸公が暮らしたという5番路地についても、13番路地・18番地とあわせて考えると、現幾松の場所ではちょいと無理がある気がする。全否定する気は無いけどね。

まだまだわからない事も多いけど、チェックしていない資料も多々あるので、ぼちぼちやっていきまっさ。

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