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よっぱ、酔っぱ。ただの酒飲みでよっぱなヲイラの戯言です。

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木戸忠太郎の出生

Category : 歴史

維新を語る会さんの会報から。


【ここから続き】

京都維新を語る会 会報第77号 個人・増刊号

萩紀行 川崎泰市

~略~

話題の中心になったのは木戸忠太郎の実母は誰であるかの確認でありますが、生咲家に残されていた資料より松子さん(幾松)と生咲兄妹さんの続き柄を証明をしなければなりません。

当地においては一坂太郎著・写真集に執筆されている桂小五郎には(四十三頁)「……小五郎を匿った大恩ある広戸兄弟(甚助・直藏)の妹で、十六歳ミネと結ばれている。彼女はのち、小五郎の男子を生む。この子が忠太郎だ。…」と書かれている。(原文のまゝ抜粋)

これについては、野村市長も関心があるのか霊山歴史館主任学芸課長・木村幸比古氏にも尋に行かれたとは、わたくしも聞き及んでいた。

当会では十年以前よりこの忠太郎出生については発表をしています。

今回はより確認のために「忠太郎は松子(幾松)の妹・信の子供であり、この信の弟は政次郎であって、その曾孫が生咲さん」と紹介をし、木戸孝正・幸一親子の書簡、信と忠太郎氏の一族の写真と系譜をもって説明されました。

わたくしも木村氏著[幕末竸艶録-志士とおんなたち・高知新聞社発行・八十四頁]にも書かれていたので購読をしています。

尚、一坂氏は昭和七年(1932年)出石郡(現在・兵庫県豊岡市)教育會出版廣戸正藏著の但馬出石に隠れたる「木戸松菊公遺芳集」からの資料であって、よく調査をされている事が伺えられる。(しかし誤られる文章である)

~略~

つう事で木戸忠太郎氏は松子の妹・信の実子、松子の甥になる。甥を養子縁組したって事。

では父親は誰なのか?

これは現段階ではわからないってか断定できないようだが、維新を語る会さんでは限りなく木戸孝允であると考えておられる。

会報の最後に翌日木戸孝允旧宅を訪れた時の記述がある。

午後は木戸孝允誕生地をまわったのであるが、松子夫人の誤れる洋装写真が今なお展示をされていたので、ガイドさんに、その由を伝えると「是非とも詳細を話して欲しい」との願望がありました。

洋装の写真ってのがこれ。

桂小五郎・幾松関連のサイトでも松子の洋装として紹介されているが、これ全くの別人。大西会長に確認すると西郷隆盛の従兄弟である大山巌夫人の捨松だそうだ。

どこもええ加減やね…。

コメント

トラックバックありがとうございます。一坂氏の説はかなり無理があると思われました。「ミネ」の子ではないというのは、確信していました。生咲家からの養子であることは、木戸文書から「おりおん」さんが解き明かしています。一坂氏は、自らを学者だと自負していますので、この京都維新を語る会の川崎泰市さんとは、議論してほしいですね。誤りは正してほしいと思います。なお、野村市長が霊山歴史観の木村幸比古氏のところを訪ねたということは初めて知りました。その結果はいまだに報告を受けていません。どんな話になったのでしょうか。それにしても、今回の記事は大いに参考になりました。ありがとうございます。

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