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長州を支えた勤皇芸者

Category : 歴史

2008年12月25日付け山口新聞朝刊に幾松の記事が掲載された。


【ここから続き】

同記事は「維新140年 長州を支えた勤皇芸者」という連載の三回目。「幾松 桂小五郎といちずな愛を貫く」とのサブタイトルがある。

先のエントリーで紹介した萩の件で山口新聞社から「生咲さんを紹介して欲しい」との連絡が川崎先生にあり紹介されたらしい。記事の前半は簡単な歴史の説明。今さら紹介する必要も無いと思うので後半部分を紹介する。

山口新聞2008年12月25日朝刊

維新140年 長州を支えた勤皇芸者 3

幾松 桂小五郎といちずな愛を貫く

幾松の弟、政次郎のひ孫にあたる岡山市の生咲幸矢さん(70)は「政次郎が東京の松子を訪ねると、足三味線で出迎えたそうです。(政府高官の妻で)外では緊張の連続。身内には素顔がだせたのかも」と言う。

さらに、幸矢さんによると、幾松(松子)に関する史料はほとんどなく、俗説が独り歩きしている点が多いという。

たとえば、松子と木戸で育てた忠太郎の出自のこと。二人に子はなく、忠太郎を養子にするが、通説では木戸が出石に身を隠した際、脱出を手伝った広戸甚助の妹との間にもうけた子とされる。幸矢さんは「松子の妹、信(ノブ)の子に間違いない」と強調する。

忠太郎と親交があった祖父栄太郎さんから「信の子」と伝え聞いたことや、忠太郎は明治四年生まれだが、桂の出石潜伏はその六年ほど前で、出生年齢が合わないという。忠太郎からの手紙も生咲家に七十通以上残り、「忠太郎は生咲家を『本家』と呼んでいた」と幸矢さん。ほかにも、生咲家自体が途絶えたとの誤解などがあるという。

幾松の真実を伝えようと、幸矢さんら一族は今年に入り萩市の木戸生家訪問や、郷土史家との意見交換を活発化させている。妹和子さん(64)は「松子は孝允さんに生咲家の面倒をみてほしいと頼んでいる。身内がずっと気にかかっていたようです」と自身のルーツに思いをめぐらせている。

記事には生咲家が提供された「30歳ごろとみられる幾松こと木戸松子夫人と忠太郎の洋装写真」も掲載されている。

記載されている以外にも忠太郎が信の子であるとする多くの根拠史料は存在している。いくつもの異なる史料が忠太郎が信の子だと語っているわけだ。

さて「萩ものがたり」で「忠太郎は広戸甚助の妹みねの子」と断言された一坂太郎特別学芸員はどう反論されるのだろう。同記事にも「通説」と書かれているが、「生咲家の親戚」とか「生咲家の親戚筋」なんて説は見ても「みねの子」って説はほとんど見た記憶が無いのだが。どこか限定された地域での通説なんだろうか?

又行政が出資し設立された法人が発行した事に対して市長・又同法人の理事である野村氏はどう反論し責任を負われるのだろうか。

生咲家子孫の証言・史料等を認めず「忠太郎は広戸甚助の妹みねの子」と押し通すのであれば、証言・史料が間違いであると判断できる新たな史料が必要となる。高々三冊ほどの書籍から導かれた推察で対抗できるわけが無い。第一その書籍で書かれている事がどれほど信憑性があるのか検証すらされていないのでは無いか。

行政が歴史検証を行うって事は責任が非常に重いと感じる。出した情報・結果については行政のお墨付きとして広まるのだから。その意味で言えば寺田屋建て替えに関する京都歴史資料館伊東宗裕歴史調査担当課長の報告書はどこに出しても恥ずかしく無い素晴らしい内容だと思う。それを公式な報道史料では無いとして公開しない京都市や観光局には疑問を感じるし、まともな検証もせず発表してしまう萩市も同じ。

断定するって事は凄く難しい。新たな史料が発見されれば、それまで史実とされてきた事が180度変わってしまう場合もあり得る。又、どんな研究家・学芸員であっても間違いはある。必要なのは異なる意見をちゃんと受け入れ再度検証する事。結果間違いであったのなら訂正する事。それができるかどうかを問われているのが「萩ものがたり」の問題だと思う。

山口新聞記事の中でどうしても書いておかなければなら無い事がある。「生咲家自体が途絶えたとの誤解」って部分。まともな調査をせず、利潤の為だけに動いているのでは?と疑ってしまう研究家・学芸員等により、社会的に抹殺される場合がある。生咲家はちゃんと続いているし、実際今生きている人がいる。だのに途絶えたなんて事を平気で書く人がいる。子孫からすれば「では今生きている私たちは何なの?」って話になってしまう。

何度も書いているが観光偽装により、本来そこにあった歴史や関係した方々の歴史が抹殺されている。捏造した歴史が史実とするなら、存在しなかった事になるんだから。ロマンって言葉で語るのも大切だろう、小説やドラマで面白おかしく描くのも大切だろう。でも他人の歴史・人生を勝手に抹殺する権利なんて誰にも無いよな。

1歴史ファンが知り得た情報の中だけで書くのならある意味仕方無い。しかし行政が情報を発信する場合、それは問題が違う。大きな責任が伴う。そこをしっかり理解すべきでは無いか。

野村市長については6月定例会での発言が歴史問題を抜きにしても如何なものかと感じる部分があったので、あらためてエントリーしたいと思う。勘違いの部分もあるように感じられるが公人としては明らかに不適切な発言と感じる。

コメント

その通りです。ありがとう、嬉しい記事です!

まさに言われる通りです。事実と嘘と虚構と創造の混じる歴史の検証を正される姿勢に感服しました。
萩の一坂氏や京都のお土居をお土居堀と造語する中村武生氏の学生時代から知っていますが、彼等には歴史顕彰とかをする姿勢はなく、歴史をだしにして生きているだけです。
学生時代ゴジラマニアだった一坂学芸員は、高杉勝氏に自分から売り込み(勝氏談)東行記念館に入り込み、好き勝手にやって追い出されて今度は萩に潜り込みました。
その東行記念館時代、NHKの歴史番組で、龍馬の薩長同盟問題に新説を立て墓穴を掘りました。これだ、という資料だけでの勇み足をし、裏付け資料を知らなかっただけでした。
歴史は科学だ、(これは田中彰氏のぱくり)と言う割りには抜けています。
彼が持て囃されるのは、山口では著名な研究者が物故されて、若手がいないので現状のようですが。
都合悪くなったり、知悉しない亊になると通説に逃れる、ぱくりの一坂学芸員はだから信用するに足りません。

それにしても凄い考証力、慧眼の論証に驚き、嬉しくもあります。
ありがとう。

  • 2009/04/20(月) 08:03:33 |
  • URL |
  • 伊三 #-
  • [ 編集 ]

研究の結果、史実と判断できる事であればそう発表されれば良い事ですし、そこから新たな史実が判明する場合も多いと思います。ですが孫引きだけで研究とは到底呼べないもの、不確定な要素が多すぎる状態であるにも係わらず、断定した書き方をされる方が多いのは問題だと感じています。

萩市の問題は宮内萩市会議員のブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/misakacoco3/47417316.html)で情報を得ていますが、拙ブログでのエントリーは議事録が公開されるまで控えています。できる限り一次情報を確認すべきと考えているからです。野村市長が再選されましたので、訂正されるまで追及されるのでしょう。

御名前の上がっている歴史研究家さんに対する他の歴史研究家さんの声は色々聞こえてきます。誰もがご存知な有名な方の声もあります。でもその方達だって首をかしげるような記述の著書を出しておられますし、50歩100歩かな?と。

維新を語る会大西会長・川崎先生、京都歴史資料館伊東宗裕歴史調査担当課長を尊敬しているのは、何れの方も「間違いがあれば訂正するのでご指摘頂きたい」と公言されているからです。実際これまでもそうして来られましたし、今後もそうだと思います。その姿勢から「本当に歴史が好きなんだな」「先人たちをリスペクトされているな」「金儲けの道具では無いんだな」と感じます。

以前頂戴した伊三さんのコメントですが維新を語る会両氏もご覧になり「大変詳しく調査されている方ですね」と驚かれていました。

ヲイラは幾松とその寓居だけを調べている、歴史の「れ」の字も知らないぐらいの素人です。機会があれば是非ご教示ください。

  • 2009/04/20(月) 23:56:42 |
  • URL |
  • naka #upkHALyQ
  • [ 編集 ]

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