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よっぱ、酔っぱ。ただの酒飲みでよっぱなヲイラの戯言です。

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石碑の与えた影響そのものが文化

Category : 幾松 (いくまつ IKUMATSU)

中村先生の「『幾松』の評価を再検討すべきと知る」という記事が、何時の間にか加筆修正されている。


【ここから続き】

拙ブログで追うと下記のエントリーになる。

魚拓も示しておきやす。

加筆修正するのは自由なんだが、せめて加筆した部分を明確にするほうが良いと思うんだけどね。下手すりゃ後だしじゃんけんでこそりと都合良く修正していると取られかねないし、松裕堂さんのコメントの例もあるんだしね。

まっそれは置いといて加筆された部分を確認してみる。

リップサービス時点での下記部分

歴史と地理な日々(新版)

2008.11.17「幾松」の評価を再検討すべきと知る11/16(日)

少なくとも営利のため、まったくなかった話を「幾松」が創出したというのは事実無根だということははっきり申し上げておきたい。

もちろん「桂小五郎幾松寓居趾」標石の移動(最悪、撤去)も含めて、今後の案内の仕方には、改めるべきところがあるとは思うが。

各パラグラフの後に加筆されている。

歴史と地理な日々(新版)

2008.11.17「幾松」の評価を再検討すべきと知る11/16(日)

少なくとも営利のため、まったくなかった話を「幾松」が創出したというのは事実無根だということははっきり申し上げておきたい。

寺田屋や幾松を攻撃対象にしている個人などがあるようだが、どのような立場で発言しておられるのだろうか。

世の中には、研究者が学術行為によって否定したにもかかわらず、いまだ「古くからの伝承ですから」といい、事実ではない由緒を語りつづけている寺社・旧蹟がそこらじゅうにある。

たとえば二条城。徳川家康が征夷大将軍に宣下された場所と書かれた解説板がある。とんでもない。伏見城である。

この誤解は、江戸初期の政治史における「首都」の重要性にかかわるので無視できない。

高台寺もそうだ。北政所(高台院)のついのつみかということになっているが、おそらくちがう。現在の仙洞御所の地の邸宅の可能性が高い。

北政所(高台院)の当時の政治的、地理的な位置をしることは、江戸初期の豊臣・徳川の政治史を考えるうえで重要である。

2006年のNHK大河ドラマ「功名が辻」の主人公、山内一豊の妻見性院(ドラマでは千代)が、夫の死後、一周忌をまたず、わずか数カ月で高知を出て、上洛し、「桑原町」の屋敷に入った。

なぜか、それは「桑原町」屋敷の位置をしればわかる。柳馬場丸太町である。

北政所邸の至近なのだ。江戸初期、豊臣家の京都の拠点のそばで、政治的情報をキャッチしようとしたにちがいない。

高台寺に住んでいたと思っていては、この大事なことに気づかずにいてしまう。それゆえ研究対象の地理的位置の解明はとても大事なことなのだ。

(拙著『京都の江戸時代をあるく―秀吉の城から龍馬の寺田屋伝説まで』文理閣、200810)

だから二条城や高台寺が語る由緒を問題視している。

寺田屋や幾松への批判が私的な怨恨によってなされてはならない。配慮はあるべきだが、学術行為だからこそ許される部分があると思っている。

そうでなければ、生活権の侵害となるおそれがある。営業妨害や地域いじめの問題である。

寺田屋や幾松への批判を「正義」だとされるなら、有力な寺社・旧蹟の由緒の誤解は見落としてはならないことになる。

だからといってそれをすべきだとはいわない。

かりにされるにしても、その場合も学術行為でなくてはならない。

なんのために批判するのか、どういう研究目的なのかを明確にしない者は語る資格はない、とさえいえるだろう。

そうでないと、ただのいじめ、暴力でしかない。心してほしい。

大前提として中村先生は歴史地理研究者であり、特定非営利活動(NPO)法人京都歴史地理同考会理事長でもあるんだから、誰もが納得し反論の余地も無い調査結果を示せば良い話だし、それが筋ってものだと思うんだけど。

その上で旅館幾松について個人レベルで攻撃してるとされるのは、きっとヲイラの事だと思うから、少々反論してみる。ヲイラ的には別に攻撃してる気は無いんだけどね。(w

先ず「どのような立場で発言しておられるのだろうか。」だが、正しい歴史を伝えたいって思いと、捏造した歴史によりそこに関係した多くの先人たちの歴史・人生を否定する権利は無いでしょ?って事。何度も書いているけど、発信される情報がもし事実であるなら、存在しなかった歴史・人生ができてしまう。創業180年だと発信すれば昭和32年までそこで暮らしていた方の歴史・人生はどうなるのか?って事。

事実ではない由緒を語りつづけている寺社・旧蹟がそこらじゅうにある。」だからどうした?って話じゃ無いのかな?確かに国内に何万・何十万ってあるのかもしれないけど、全部手をつけるなんて無理だし、同時に手をつけなければいけないって事でも無いはず。やりたい人、やれる人がやれば良いだけ。

寺田屋や幾松への批判が私的な怨恨によってなされてはならない。配慮はあるべきだが、学術行為だからこそ許される部分があると思っている。」そうは思わないな。例えば幾松の発信する情報を信じ、それに対して対価を支払った方が文句を言うのは駄目なの?一生に一度であろう想い出を踏みにじられた場合でも、文句言えないの?責任を故人に押し付けられた子孫が文句言っても駄目なの?どれも学術行為では無いよな。

そうでなければ、生活権の侵害となるおそれがある。営業妨害や地域いじめの問題である。」生活権の侵害って…。生活権って書けば通常は憲法25条の事でしょう?この場合に当てはまるのだろうか?国家の責務を宣言したものだと思ってたけど、ヲイラは国家か?難しく書かず、信用毀損罪・業務妨害罪ぐらいにしとけば良いのに。でもって地域いじめってのはまじわからん。

なんのために批判するのか、どういう研究目的なのかを明確にしない者は語る資格はない、とさえいえるだろう。」ん~~~~、中村先生が資格を決める立場にあるとも思え無いけどな。幾松に対して意見する者への反論としては、ちょいと中途半端な気がする。

まっ、ここまでは「ふ~~~ん。っで?」って感じかな。

大事なのは後半。

歴史と地理な日々(新版)

2008.11.17「幾松」の評価を再検討すべきと知る11/16(日)

もちろん「桂小五郎幾松寓居趾」標石の処置も含めて、今後の案内の仕方には、改めるべきところがあるとは思う。

僕は、「石碑の与えた影響そのものが文化」だという立場であるので、その撤去はのぞみたくない。

その意味では、「桂小五郎幾松寓居趾」標石は、単体ですでに広義の「文化財」だとさえいえる。

その位置に置いたまま、そばに「木戸孝允・松子夫妻居所参考地」というような新碑をたて、経緯を記した解説板をおく、というのが理想的だろう。

文化って凄く曖昧でもあり難しい部分だと思うけど、「石碑の与えた影響そのものが文化」ってのは言い過ぎかな。それを認めちゃうと石碑何でもOK って事にも成りかねない。第一その地域・住民にとって迷惑なものであった場合、それすらも文化とするなら、それこそ押し付けの文化であり暴力だわ。

単体ですでに広義の「文化財」だとさえいえる。」ちょぉぉぉぉぉぉぉぉ。中村先生何があったの?100歩譲って「『史蹟』はつくられるものだということを示す典型例」との中村先生の言葉を表す意味でなら文化財になるのかもしれないけど、立ち位置を180度変えられた現在であるなら「はぁ?大丈夫ですか?」って心配してしまう。何か追い詰められているのだろうか…。

「木戸孝允・松子夫妻居所参考地」というような新碑をたて、経緯を記した解説板をおく」えとえと、参考地で新碑を立てるなら、当該地域には30本ぐらい新碑を立てられますよ。それこそ二条から三条まで参考地の新碑だらけ。民間の敷地内だから好きにすれば良いけど、木戸公、松子夫人の寓居の場所がある程度確定した時点で、維新を語る会さんに持ちかけてその場所に新碑立てますよ。しっかり解説板もね。そうなった時、現在の幾松の碑を残し、新碑を立て解説板を置く事が理想とされた中村先生はどうされるんだろう。

木戸公、松子夫人の寓居は路地番号で明らかになってるけど、現在の幾松の場所に果たして路地があったのか?今の入口部分を路地と呼べるのか?って段階でかなり微妙なんだけどね。

話は戻るけどやっぱ「誰もが納得し反論の余地も無い調査結果を示せば良い話」ってだけだわ。あれこれ話を広げても結局は現在の幾松の場所が木戸公寓居趾である事を根拠史料をもって示せない限り何も変わらない。反論の余地も無いほどの内容であれば、素直に非を認めるし謝罪もするけど、他の史料と整合性が無い場合は今以上に反論するだろうな。

維新を語る会さんが10年以上の歳月をかけ調査された内容、生咲家から託された多くの資料を満足させるだけの調査が、たかだか数ヶ月でできるとは決して思え無いし、それを妥当と判断するのも…。

再度言わせてもらえば、あまり軽々に発言されるのは控えられるほうが良いと思う。

コメント

nakaさん、どうも松裕堂です。
本日の貴ブログを拝見しまして、私も自分のブログに思うところ何か書きこうかと思ったのですが、トラックバック先は固定リンクあつかいのようでしたので、私のひとり相撲になるのも非建設的(無駄)とおもい、コチラに御目汚しをさせてください。

まず
「寺田屋や幾松を攻撃対象に…[中略]…心してほしい」
までの加筆部分について思ったことなんですが、中村氏が「私的な怨恨」で批判がなされていると観る前提をべつにしても、史跡などの考証事が「学術行為だからこそ許される」という理屈でいくと、学者・専門家・学術的発表の場のある一握りの人でもないかぎり、つまりは何もいえないことになるんじゃないでしょうかね?
(これは"学術"の意を「専門的な研究として行われる学問」と解した場合ですが)

まるで議論そのものを封殺、ないし研究者で独占すべきだとも取られかねない言いまわしで、いささか閉鎖的な印象をうけかねません。


また後半の「石碑の与えた影響そのものが文化」だとする見解には、私としては個人的に一部同意します。

ただしソレは"享受史"(石碑の与えた影響史)という意味でであって、"石碑そのものではない"と私なんかは考えます。

よって「標石は、単体ですでに広義の「文化財」だとさえいえる」とお考えであれば、ソレこそ移転の経緯を記した解説板でもたてて、碑をべつのところにでも保管すればいいんじゃないでしょうかね?

さすがに石碑までそのまんまだと、勘違いする人が続出する(現在進行形で既に続出してますが)と思うので。

  • 2009/01/22(木) 10:54:47 |
  • URL |
  • 松裕堂 #6eUroIng
  • [ 編集 ]

松裕堂さん、コメントおおきにです。

仰ること、至極ごもっともだと思います。

本文でも書いたのですが「誰もが納得し反論の余地も無い調査結果を示せば良い話」につきると思っています。研究者として幾松の調査成果は妥当と判断されたのですから、百の言葉より一つの根拠史料を提示されるほうが遥かに説得力があるはずですし、本来研究者であるのならそうすべきだと。

全てを公開してるわけではありませんが、少なくともヲイラは可能な範囲で根拠となる資料・証言を提示してきました。単にいちゃもんをつけてるわけでは無く、事実と異なる内容について言及してるつもりです。

ですので資格云々や文化にまで話を広げなくても、一つの史料でヲイラを黙らせれば良いだけでしょう。もし現在まだその時期では無いとお考えであるなら「馬鹿がわめいてる」と放置・静観して頂ければ良いだけですし、法的な問題は当事者である幾松経営者がヲイラを告訴されれば良いでしょう。法廷の場で真実が明らかになるのなら望むところです。

今日メールを頂戴した中でこんなご意見がありました。下記は要約です。
「400年も前の話を持ち出されても意味が無い。幾松創業以前のまちなみを知っている人間として、幾松が語る話がおかしいと思っている。中村さんはお若いから幾松創業以前のまちなみも、400年前の話も全て知らない話として一括りなんでしょうね。」
これも又ごもっとも。

中村先生のご意見、細かい部分をつっこめば論理矛盾している部分もありますが、やめときます。

  • 2009/01/23(金) 00:14:22 |
  • URL |
  • naka #upkHALyQ
  • [ 編集 ]

以下は、京都に住む古い京都人の友人のメールです。

中村武生著『京都の江戸時代を歩く』は未購入、書店にて立ち読み程度なので、論評を加える立場にありませんが、さきの『御土居堀』造語の傲慢な態度。
新聞連載、自著、論文発表、引用書籍雑誌などの掲載による活字化による造語の既成事実の積み重ねにより、してやったりのしたり顔の当人の顔が目に浮かんでくる。

誰も異議を唱えないのもノーテンキな話であるが、このような愚行が容認されるほど世の中甘くないと思われる。

龍馬暗殺の件、「維新史の知識が希少なうえ、史学の史料批判の技術を習得していないといわざるをえない …」とは呆れた話。
「史料批判の技術の習得」とはなんぞや!
批判の技術の習得ではなく「史料の正しい読み方の習得」でしょう。

自己の主張が正しいと言い切れる、納得させるだけの根拠があればいいが、それもなく手段でねじ伏せるようなやり方では共感が得られる訳もありません。

緻密な調査研究を積み上げてきた先人の歴史学者が過去に多くいますが、そのひとたちにたいしてもポッと出の研究者がメディアや媒体を利用しての冒涜ですかなぁ。

  • 2009/05/18(月) 23:20:41 |
  • URL |
  • 伊三 #-
  • [ 編集 ]

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