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よっぱ、酔っぱ。ただの酒飲みでよっぱなヲイラの戯言です。

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寓居とか諸々。

Category : 歴史

メモ代わりの第2段。


【ここから続き】

中井弘

荒神口寓居

mixi 中井弘コミュで荒神口寓居のトピックを目にした。

その中で「大阪龍馬会の「幕末史跡研究会」のホームページには、「上京区荒神口通り河原町東入ル南側の亀屋町(現財務局の地)に邸を構えた」と紹介されている」とあるんだけど、これはたぶん石田孝喜氏の著書「幕末維新京都史蹟辞典」からの孫引き。財務局があったのは上生洲町。亀屋町は荒神口の北側になる。

その後「京都府上京御幸橋西流北へ入」という住所であり、「此の地所は、むかし定家卿の遺跡とやらで、北垣国道男の周旋で成たものだ。中井の死後には、久邇宮家へ譲ることとなった。」という情報が書き込まれる。当該地は現在の「くに荘」。くに荘であるのなら久邇宮邸跡地であるから上記情報と整合する。又、中井弘死後、明治28年に売却されているとの情報も書き込まれる。

明治28年なら旧土地台帳調べれば載ってるんじゃないかな?と法務局に行ってみると見事ビンゴ!

中井弘 旧土地台帳

地番は27-2。現在この地番は存在しないようなんで、その後27-1と合筆されたんじゃ無いかと推測する。

まっ、とりあえず荒神口寓居の場所が確定されたって事で。

木屋町寓居

でもって中井弘と言えば最近坂本龍馬妻お龍寓居跡という碑が建立された。北面には「京都府知事 此付近 中井弘 幕末期 寓居跡」とある。壁面パネルには「木屋町の近江屋喜一郎の2階に寄宿していました。」とあるけど、近江屋喜一郎邸が「此付近」という典拠がわからない。

他に資料として理解しているのは石田孝喜氏の著書「幕末維新京都史蹟辞典」。「中京区木屋町通り六角下ル山崎町、中井喜右衛門宅跡」とあり、巻末の「高瀬川沿いの維新史蹟(幕末復元図)」には「中井弘蔵寓居跡」として印が付けられている。こちらも典拠・中井喜右衛門宅跡共に謎。

特徴のある場所なので確認してみるとここ。

高瀬川沿いの維新史蹟(幕末復元図)」中井弘蔵寓居跡

そこから2軒南に下がると建立地である京都龍馬会のある都会館。確かに「此付近」だ。

都会館(建立地)

だが待てよ。石田孝喜氏の著書「幕末維新京都史蹟辞典」には山崎町と書かれている。都会館があるのは材木町。二つの町の境界は高瀬川の中央。山崎町であるのなら高瀬川より西側、つまり河原町との間って事になる。

もし「此付近」の典拠が「木屋町の近江屋喜一郎の2階に寄宿していました。」と「中京区木屋町通り六角下ル山崎町、中井喜右衛門宅跡」だけであるのなら、

  • 近江屋喜一郎宅・中井喜右衛門宅共に場所は判明していない。
  • 木屋町は二条から七条まで南北に約4km ほどある通り。三条~四条に限定しても1km はある。「此付近」とするには、あまりにも範囲が広い。
  • 幕末維新京都史蹟辞典」の内容については「大村益次郎卿遭難碑」と中井弘荒神口寓居で明らかな間違いを指摘しているので、中井喜右衛門宅跡についても疑わしいように感じる。

となると「此付近」として都会館前に建立された事が理解できない。まさかNPO法人京都龍馬会事務所&居酒屋龍馬の前だからとか、龍馬開店二周年記念イベントのためって事は無いだろうし…。

でもヲイラみたいに空き時間にちょこっと調べるような素人では無く、中村先生は歴史地理研究家としてご活躍されている方だから、きっとそれ以外に公表されていない何かをお持ちなんだろう。そうでなければ建碑なんて出来ないだろうし、碑文に「此付近」なんて言葉は使われないはず。ましてやお龍寓居跡については「正確な位置は不明ですが」と解説されているが、中井弘寓居跡についてはそのような記述は無い。

うん、きっと何かをお持ちなんだろう。

今後調査結果を発表される事になるだろうから、その時まで楽しみにしてまふ。

松力

中井弘関連ででてきた木屋町三条の「松力」。ちょいと探してみた。松力(桃井源三郎)の住所を特定する資料があったので、これは簡単に判明した。

松力(焼肉の弘)

現在「焼肉の弘」となっている場所。

入江亭

池田屋事変の後池田屋惣兵衛が亡くなり池田屋も営業停止になってしまう。その後池田屋惣兵衛こと入江宗兵衛の妻まさと娘てるが、木屋町三条上がるでそれぞれ宿屋を営業する事になる。まさは「入江亭」、てるは「池田屋」。では木屋町三条上がるのどこなのか?

「池田屋」については概ねこの辺りかな?って絞り込んではいるが正直まだわからない。「入江亭」についても断定はできないが感覚的には90% ぐらいの精度で四国屋丹虎の跡だと考えている。

入江亭(金茶寮)

武市瑞山先生寓居跡の碑がある現在「金茶寮」となっている場所。


って事で、木戸孝允寓居、木戸松子寓居を探す途中の寄り道でした。(w

コメント

京都に幕末維新探偵あり!!!

嬉しい調べにゾクッとさせられてなりません。
金子・寺井資料を取り込んだ孫引きの石田孝喜氏、そこに繋がって、お土居を勝手な造語でお土居堀と公言する中村武生氏や、或いは霊山墓域を拝観として拝観料をとる姿勢の、同じく孫引き研究の木村親子にはない真面目な旧幕ご一新の、顕彰ならぬ検証の情報発信に嬉しく思っています。

それにしても、平安高校を辞しての川崎先生はまだご健在なのですね。
(ジョセイニデンワレンラクスルノニ、ドウシテイツモソトカラノコウシュウデンワカラナノデショウネ。)

  • 2009/05/07(木) 08:25:12 |
  • URL |
  • 伊三 #-
  • [ 編集 ]

あれ?これって典拠は何?史実なの?推測なの?

そんな風に感じる事が多々あります。"さも"史実であるかのように書かれるのは、プロであるなら控えられるべきだと思いますし、孫引き"だけ"で執筆されるのもどうかと感じますし、もう少し慎重であって欲しいです。

と言いながら訂正記事アップしました…。
http://yoppa.blog2.fc2.com/blog-entry-565.html

  • 2009/05/09(土) 02:51:53 |
  • URL |
  • naka #upkHALyQ
  • [ 編集 ]

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