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木戸松子 愛用紅小鉢

Category : 幾松 (いくまつ IKUMATSU)

霊山歴史館で紹介されている同品について。


【ここから続き】

霊山歴史館

木戸松子 愛用紅小鉢

天保14年、若狭小浜藩士の長女に生まれた松子は、父の死後上京して、三本木・吉田屋の芸妓竹中かのの妹分となり、14歳の時に二代目幾松を襲名しました。

幾松は、なじみの小間物商広戸甚助から桂小五郎(木戸孝允)を紹介されます。蛤御門の戦いで敗れ、新選組の探索を受けていた桂を、幾松はたびたび救いました。維新後、幾松は木戸夫人となり松子と名乗りました。明治10年に木戸が没すると木屋町別邸(幾松旅館)に移り住み、剃髪して翠香院と号しました。明治19年没。

この紅小鉢は、幾松時代から愛用したものです。口紅やほお紅に使う紅粉を溶かし、鉢の中心がかなり摩滅しています。幾松の数少ない遺品の1つです。

上記ページの魚拓

小鉢に触れる前に「木屋町別邸(幾松旅館)に移り住み」って部分。サイゾーの取材で木村幸比古氏は次のように答えている。

日刊サイゾー

桂小五郎もびっくり!? 歴史“捏造”旅館にご用心(後編)

幕末維新研究の第一人者であり、京都にある「霊山歴史館」学芸課長を務める木村幸比古氏に取材してみると、

「長州藩の控え屋敷があの一帯のどこかにあったのは確かです。しかし、桂小五郎と幾松が厳密にどこで会っていたのかについては、証拠は存在しません。三本木周辺なんでしょうが、すべては想像の域を超えていない。“○○ゆかりの地”なんて、ほとんど言ったもん勝ちの世界なんですよ」

とのこと。木村氏は、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏などといっしょに何度か「幾松」から招待を受けたり、館内で講演を行ったこともある。一見、「幾松」の擁護派かと思いきや、歴史家としての意見はあくまで中立的なようだ。しかし同氏は一方で、このような見方も示している。

「確たる証拠がないからと言って、すべての逸話や伝承を否定してしまうと、歴史はロマンのない無味乾燥なものになってしまう。『幾松』さんの件については肯定も否定もしませんが、そういう話があってもいいんじゃないかとは思いますね」

って事は、「木屋町別邸(幾松旅館)に移り住み」と断定して書かれている以上は証拠が存在するんですよね?あるいは証拠は存在しないけど、歴史をロマンのない無味乾燥なものにしないために言ったもん勝ちって事ですか?

どちらかと言えば後者の感じがするんですけどね。これまで色々木村氏の発言・著書を見聞きしてきたけど、幾松が関係する場所・著書なんかでは幾松肯定派として、断定した発言をされる。それについて否定派・中立派から問われると突然立ち位置を変えられる。自己矛盾が非常に多い印象しか無いっす。

ついでに竹中かのは吉田屋の芸妓だったのか…。

でもって小鉢について。

木戸松子愛用品である可能性を100% 否定する事はできないが、愛用品であるとの根拠は小鉢を売った古物商の発言だけみたい。

入手経緯を説明すると、三年坂にある古物商のオーナーが小浜出身の木咲という方だった。生咲でも木崎でも無く木咲。字は異なるが同じ「きさき」である事から、木村氏は気にされていたよう。ある日同店を訪れ話を訊くと、木戸松子直筆の書簡を見せ「当店にも通っておられた」と話されたらしい。すっかり信用した木村氏は店主の説明通り「木戸松子愛用の紅小鉢」を購入し霊山歴史館で展示となったわけ。

書簡については京都維新を語る会が生咲家の菩提寺を探し出し過去帳を調査されたニュースが京都新聞で掲載された。それを見た京都の古物収集家から「木戸松子の書簡を所有しているので、調査して欲しい」との連絡が同会に入った。書簡は東京西島家とのやり取りで、木戸忠太郎の名前等も入っており、西島家所蔵品が売り立てされた際、落札入手されたもの。

同会では書簡の内容が、当人(松子・忠太郎・西島夫妻)でなければ知りえないものである事や、記載されている住所から本物であると判断された。これについても京都新聞で取り上げられた。

同会調査の遥か昔に、所有されていた書簡10数通の内1通だけが売りに出された事がある。それが三年坂にある古物商が所有しているもの。木戸松子・西島家から直接入手されたものでは無い事から、書簡を所有している事で木戸松子と関係があったと判断することは出来ない。又生咲さんに確認したけど木咲という親戚はおられないとの事。

既に店主は亡くなられており、御子孫では小鉢の入手経緯や、木戸松子が本当に同店に通ったか等はわからないようだ。

となると書簡も同店にゆかりのあるものでは無いし、生咲家と関係があるわけでも無い。木戸松子が通った・愛用したってのは、店主の発言以外それを証明するものは何も無い。こんな状態で「木戸松子 愛用紅小鉢」「幾松の数少ない遺品の1つ」として資料館が展示する事は、果たして相応しいのだろうか?

歴史をロマンのない無味乾燥なものにしないために、言ったもの勝ち、展示したもの勝ちって事であるなら、歴史資料館の看板も疑わざるを得ない状況になってしまうし、入館料を取っているのだから観光偽装と呼ばれても仕方無いのでは無いか。


これまで拙ブログでも吉田屋→清輝楼→大和屋って流れであると書いてきたけど、間違いである事が判明したので訂正します。(2009/06/03(水))参照:吉田屋・清輝楼・大和屋

コメント

龍馬の墓を拝観という事で、拝観料をとって見せたお金でこうした骨董を集め、展示するのは如何なものか。

拝観料で買い集める趣味の刀剣は、ずいぶんあるのでは。

木村氏は信用出来ない。だが、木村氏信奉者も多い。
護国神社に奉られた英霊に拝観料は失礼だ。

  • 2009/05/18(月) 23:36:19 |
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  • 伊三 #-
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