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よっぱ、酔っぱ。ただの酒飲みでよっぱなヲイラの戯言です。

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霊明神社他。

Category : 歴史

最近「霊明神社」「週刊ポスト 幾松」ってな検索キーワードでのアクセスが増えているのでネタ提供。


【ここから続き】

先ずは霊明神社について。

霊明神社について詳しく書かれた書籍はほとんど無いようだが、村上繁樹八世神主が「京都霊明神社と草莽の魂魄 - 神道葬祭場から招魂の杜へ」と題し書かれた文章がある。

白陽社の季刊誌「日本主義」の2008年冬号 第4号。

日本主義 2008冬号 第4号

ページ数は少ないけど(P146~P152 の7ページ)、内容はかなり詳しく書かれている。

  1. はじめに
  2. 創設者都大人
  3. 正法寺清林庵
  4. 初めて祀る志士
  5. 招魂祭と招魂社
  6. おわりに

取り扱ってる書店は少ないみたいだけど、探せば見つかると思う。紀伊國屋では在庫があるみたい。霊明神社について調べている方は必読かな。

それから週刊ポスト。

こちらはもう在庫も無いようだし図書館なんかでも置いているところは少ないみたいなんで…。

週刊ポスト2008年10月10日号

京都の料亭・幾松 桂小五郎寓居跡にも疑惑あり!

桂小五郎のロマンスとは全く関係無し!

本紙がこれまで取り上げてきた"観光偽装"問題。その第1段は、"現在の京都・伏見の『寺田屋』は「坂本龍馬襲撃事件」当時のものではない"というリポートだった。

本紙の取材後、京都市は調査に乗り出し、9月25日、本旨の指摘通り焼失していたし『寺田屋』へ行政指導すると発表した。

前号(10月3日号)では、長崎の料亭『花月』にある"龍馬の刀痕"が根拠に乏しいとした記事を掲載。それを受けてか、『花月』のHP(ホームページ)からは刀痕の記述が削除された。

しかし、残念なことに偽装物件は枚挙にいとまがない。今回は、京都・鴨川に臨む老舗旅館『幾松』(中京区木屋町)の疑惑をご紹介しよう。

御池大橋に近い『幾松』は、幕末の討幕運動を指導した一人、桂小五郎(木戸孝允)と、京都・三本木の芸妓、幾松(後の松子夫人)の寓居趾としてファンが多く訪れる。

同店のHP には、「有形登録文化財」に指定と謳われ、《幕末当時、幾度となく新撰組の斬り込みを受けたと伝えられ(中略)今も尚、抜け穴、飛び穴、のぞき穴、つり天井など出来る限り当時に近い状態で保存いたしております》と解説されている。

店先には《桂小五郎幾松寓居趾》《長州藩控屋敷趾》と刻まれた石柱が。店内の「幾松の間」では、専務と名乗る男性が、15分にわたり講談口調で以下のような説明をする。

  • 建物は200年前のものといわれる
  • 敵の討ち入り対策のため、「つり天井」がある。昔は天井の上に石を置いており、118年前までそのままだった
  • 桂小五郎と幾松が情報交換している時に、新撰組の討ち入りがあった。幾松は桂を長持に隠し、自分はその前で近藤勇に「開けるなら開けよ。しかしいなかった時は私に恥をかかせたお詫びに切腹せよ」と迫り、桂を守った。

──まさに《幕末動乱期に花を咲かせた二人のロマンス》である。

ところが、古くから近隣で生活をする人たちは「あそこは偽物」だと囁く。取材を進めると、不可解な事項がいくつも浮上した。

登記によれば、現在の『幾松』の経営者がこの建物を所有したのは1959年のこと。それ以前は洋裁学校、その前は水炊きの店が同じ建物で営業していたという。

「洋裁学校の関係者は、つり天井の話は聞いたことがないといっていた」

「建物は間違いなく古いが、無くなった水炊き店のご主人は、桂が隠れた長持があったなんて記憶にないといっていた」

それもそのはず、"桂小五郎、幾松の機転で窮地を脱出"したのはここではなく、三本木にあった旅館『吉田屋』こそが本当の舞台なのである。

97年の石田孝喜著『幕末維新京都史蹟辞典』や、93年7月21日付けの『京都新聞』など、複数の史実を検証した資料にはそうした記述が確認される。大和屋と名前を変え、97年まで営業していたその場所には、京都市が立てた《桂小五郎が勤皇の志士と密会中新撰組に襲われ、幾松(後の松子夫人)の機転で「ドンデン返し」の裏階段を通って地下道に降り鴨川へ遁れて事なきをえた》と紹介された駒札(名所説明の立札。京都市産業観光局に原文保存)もあった。

さらに『幾松』の前に鎮座する石柱の信憑性を疑う郷土史家も存在する。また、店が掲げる「登録有形文化財」は、「国土の歴史的景観保護に寄与しているから」(文化庁文化財部)という意味であり、指定の対象はあくまで古い建物に対して。桂小五郎や幾松とは何の関係もないという。

数々の疑問を『幾松』の経営者に質した。

「一切返答する義務が無いと判断いたしました。(中略)心の故郷ともいえる京都という土地において文化を守り続けていきたいという当社の理念とご理解いただけましたら幸いで御座います」

せっかく築きあげた歴史ロマンに彩られたイメージを壊さないで欲しい、ということか──。

郷土史家などが集まり京都の幕末史の調査をしている歴史サークル『京都維新を語る会』の大西荘三郎会長は語る。

「歴史ロマンは大切にしたいですが、史実を捻じ曲げ、歴史を改ざんし、人を騙してまで求めるものではない。夢やロマンを与えるものがレプリカならそれでいい。しかしそれが20年、30年の年月を経れば本物になるのであれば問題だと思います」

古都だからこそ、歴史の重みは大事にしたいのに、却ってまがいものが横行する。その皮肉に満ちた現実こそが、人間の歴史を作っていくのだろうか──。


これまで拙ブログでも吉田屋→清輝楼→大和屋って流れであると書いてきたけど、間違いである事が判明したので訂正します。(2009/06/03(水))参照:吉田屋・清輝楼・大和屋

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