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よっぱ、酔っぱ。ただの酒飲みでよっぱなヲイラの戯言です。

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幽霊のようなサイト続報

Category : 歴史

以前書いた幽霊のようなサイトの続報。


【ここから続き】

やっとこさ萩市議会の会議録がアップされた。

先ずは会議録から。読み難いので適宜改行しています。

萩市議会 平成21年 3月定例会 - 02月23日-03号

◆24番(宮内欣二君)

~略~

4点目は、萩ものがたりの出版倫理の取り組みについてです。

この問題は、昨年6月議会で取り上げました。井上剣花坊のことでは、盗作がひとひらの紙に書かれた説明書をつけられて売られ続けております。それは恥ずかしいことであります。

今回はもう一つの写真集、桂小五郎について、再度取り上げるものです。

その前に、インターネットサイトへの認識不足と論争についてということで、市長に聞いてみたいと思います。

6月議会の答弁の中で、インターネットサイトの匿名性にかかわって、日高オリオンさんという人が運営している木戸孝允館というサイトのことを、どこのだれかもわからない幽霊のようなサイトだ。このように言われ、信用できない。こういうふうに言われました。インターネットサイトの匿名性については、総務省も研究しています。固定的なハンドルネームと全くの匿名は分けて考えています。インターネットサイトには、本名、住所、これを書く必要はありません。逆にそれを明かせば、別の攻撃にさらされる可能性があります。

書籍のことを考えてみれば明らかです。例えば、司馬遼太郎は本名で住所を明かして本を書いているでしょうか。松本清張はどうでしょうか。まあ亡くなられた方はもう攻撃は受けないかもしれませんけれど。こういう方々も本名を明かさずに住所も明かさずに書籍を書いています。こう考えれば、自明のことではないでしょうか。

木戸孝允館という文字で、グーグル検索をしますと、2番目に登場するのがこのサイトです。一番はインターネットの百科事典ともいうべきウィキペディアですから、実質、インターネットの世界では、木戸孝允に関しては、一番読まれているサイトであります。とてもまじめで、萩出身の木戸孝允のことを高く評価して、全世界に紹介しています。なぜもっと木戸の評価が高まらないのだろうか。こういっておられるぐらいです。ですから、萩市が表彰してもいいなと思うぐらいのサイトです。

ところが、市長は、この萩の市長は、インターネットに対する無理解と、悪魔とも言うべき低劣な批判を投げつけました。私はそれがどうしても許しがたいと思います。ぜひこれはこの場で取り消して謝罪をしていただきたいと思いますが、いかがでございましょうか。いずれにしても、肩書きや名前で物事を判断してはなりません。本質を見誤ることになります。差別や偏見につながることでもあります。何を根拠に、どう真実に迫っていくか、このことこそに光を当てて判断することが必要です。市長に求められる公平公正な立場とはそういうものではないでしょうか。本題に入ります。

6月議会では、萩博物館の特別学芸員の書いた写真集、桂小五郎、萩ものがたり第15号この中に、広戸みねと桂小五郎の実子と断定して、木戸忠太郎が紹介されていたことを問題にいたしました。私は、木戸孝允館のオリオンさんや市内のある方の主張をもとに、木戸忠太郎はみねの子ではない。こう訴えました。しかし市長は、一坂説が有力だ。このように述べられました。

私も反省するところはあるのです。それは実子対養子だということ。こういう対決構図にしたことです。養子ということは動かしがたい事実です。しかし実子でも養子にすることもあります。ですから、実子の可能性がないわけではないということです。本来ならば、木戸忠太郎は本当に木戸とみねの子なのかと問題を立てるべきだったと思います。私はその後、著者の学芸員と連絡を取りました。その中で断定した根拠となるものは何か。このように確かめました。

やはり彼が根拠に上げたのは、現代の人が書いた三つの書籍でした。その本のもとになった原資料を示されることはありませんでした。そのため、依然として、みねの子と断定された根拠は薄弱だと思っています。3人の著者の一人は、霊山歴史館の木村幸比古さんであります。

市長も時間はかかるけれども調べてみるということを約束されました。しばらく待っていました。そうしていますと、昨年12月の23日に山口新聞に長州を支えた勤皇芸者というシリーズが始まりまして、12月25日には木戸孝允の妻、木戸松子、芸名幾松ですが、この実家である生咲家、その子孫である生咲幸矢さんが登場して話をされていました。それによると、木戸忠太郎のことについて。松子の妹、信の子に間違いないと強調する。忠太郎と親交があった祖父栄太郎さんから信の子と伝え聞いたことや、忠太郎は明治4年生まれだが、桂の出石潜伏はその6年ほど前で、出生年齢があわないという。忠太郎からの手紙も生咲家に70通以上残り、忠太郎は生咲家を本家と呼んでいた。と、幸矢さんが言ったという言葉が示されました。

そして、その生咲さんが萩市にきて、郷土史家と情報交換をしたということも伝えられています。そのときに同じシリーズにのっていた京都維新を語る会の川崎さんも一緒に萩にきて、市長と面談したということがわかりました。その京都の維新を語る会の大西会長や川崎さんは、過去帳とか手紙とか、その他のたくさんの資料から、忠太郎は松子の妹、信の子である。このことが確信できる。こういうふうに述べています。私が直接電話で聞きました。市長は、生咲さんや川崎さんからの直接の指摘も含め、その後の調査について公表する義務があると思います。今日に至るまで、何も示されておりませんけれど、ここで現在までの調査結果と、市長の見解を求めたいと思います。

いずれにしても、こうした新しい指摘を見れば、木戸忠太郎をみねの子として断定し、全国に発信したことは、非常に倫理観に乏しいことを世間に明らかにしたと思います。このまま放置すれば、萩ものがたりの信頼性、倫理性は地に落ちますし、萩博物館の特別学芸員という立場への信頼も疑われてしまいます。それは萩市のイメージダウンではないでしょうか。99%確実だと思っても、1%でも疑念があれば、断定しないというのが学者の良心です。より厳しく、その態度を貫くことが求められているのではないでしょうか。学術の場では、特に歴史の事実を争うような場合は、新しい事実が出てくれば、それまでの主張が一変に覆るということは、よくある話です。だからこそ、断定ということは控えるべきではないでしょうか。

間違いを改めるのは恥ずかしいことではありません。間違いをわかりながら、そのままにしておくことこそが、恥ずべきことではないでしょうか。

学術論争だけでなく、萩ものがたりにおいても謙虚な姿勢、倫理観の向上が求められていると思います。誤りは素直に認め、謙虚に反省し、新たな事実を受け入れること、それが出版倫理に沿う態度ではないでしょうか。今回のことで、萩ものがたりの出版倫理として問題になったのは、公的な記録に反した説や、確実でない説、一般には知られていない風説を事実と断定し、萩ものがたりとして出版したこと。個人のプライバシーを中心に編集すること。誤りが指摘されたときに、出版者としてどう対応するのかということ。著者に対して、どう対応するのかということ。こういうことが課題になっていると思います。今回のことを教訓として反省総括し、出版倫理を強化する必要があると思います。市長のその後の出版倫理強化の取り組みを聞きたいと思います。

以上、長くなりましたが、質問します。終わります。

◎市長(野村興兒君)

~略~

最後の、萩ものがたりの話でありますが、まあ、余りこう私もちょっとですね、前、あんまりきゃっと言われたんできゃっときたんですが、まあその幽霊とか何とか言ったかもしれません。まあしかしですね、しかし今おっしゃったように、学術的な見解を出すのは、やはりですね、まあ松本清張とか司馬遼太郎とおっしゃったんですけれども、少なくとも学術見解はちゃんと本はですね、学者先生の本は名前も住所もちゃんと書いてあるんですね。正々堂々とやる。まあ確かに木戸公を宣伝いただいたことは本当にありがたい。ありがたい。これは評価しています。が、しかし、こうやってその異論をその一つの説に対してというときは、やはりお名前を出されるのが本当は筋じゃないかというのが私の個人的な見解であります。

これは今、いろんな形で議論されているのは承知しておりますけども、まあ通常の趣味の世界とかいろんなもんであれば別に問題は、ありますが一つの学説をといいますか、見解を出されるときはですね、まあオリオン、名前は白馬の王子、白馬の騎士でしたか何かそういうふうに書いてありましたけど、まあそれも凄いあのいい名前ですな。まあいろんな形でいいですけども、やはりまあこの市議会で引用していただくようなときはですね、やはりこのしっかりしたものをお願いをしたいと。

私どもも今、この山口新聞で今度書かれておりました、川崎さんのあのグループが書かれておりますのは、表現はよく読んでいただきたいですね。通説ではみねの子供だと言われてきたが、私どもは、とこういうふうなんですね。今まで通説なんですね、大体。ここで今、議論しても何ですから。

あの今、確かにおっしゃるように、納得いただいたのは、養子即実子ではないという、そこのところはいいですな。そこはですね、今、私どもは調べれば調べるほど、実は本当にわからなくなるんですね。あの川崎さんは、私が招聘しました。来てもらったんですね。いろいろですね、調べれば調べるほど本当に。だからこういう議論の場じゃなくてもう少しですね、ちゃんとしたことで、形で何かあのお話できればと思います。

我々は今の社会の常識で判断しますから、当時はですね、かなり状況が違ってたんですね。だからそういったことも含めて、だからあんまりこの、何といいますか、このそもそもまあ断定をしたということについては、おっしゃるとおり、もう少し書き方があったのかもしれません。これについては、あの一坂氏のまあ見解でありますから、一坂氏は自信を持って書いた。こうおっしゃっています。

そして、先ほど御指摘いただきました、このインターネットの表現、これが行き過ぎたことがあれば私も失礼したかと思いますが、まあしかし、一般的にはですね、この議会で引用されるときは、そういうこのまあはっきりしないね、ところの引用はまあもう少し学者はこう、だれそれの学者はというような形、あるいは小説作家でもですね、そういう形でその引用されるのがやっぱり筋だろう、こういうふうに思います。

まあしかし、いずれにいたしましても、こういったことについて、このできる限り私どももですね、萩ものがたり、これは出版の趣旨はですね、とにかく萩にいろんなこの宝物、たくさんあるけども、それを紹介していこうというのが趣旨でありますから、そこでそんないろんな疑念が出てくるようじゃ困りますので、今後は出版内容に関します事業リスクを回避する、まあこういった観点から、まあ定時総会でやりまして決議したチェックの機能強化。まあこういったことを今、やっているわけであります。

理事長を委員長といたしまして編集の担当理事を置きまして、編集委員会を組織してきております。昨年の7月からであります。そしてまた、編集作業担当する編集部の強化を今、図っております。山口県の地方史研究会員と、萩図書館の協議会委員2名を加えています。いろんな形で今、議員お話がありましたようなことが、今後ですね、井上剣花坊の話もありますので、まあそういったことがないように、これはやっぱり、ちゃんとですね、仕切りをしていかなくちゃいけない。まあ今、一坂氏の話は、もうちょっと時間をいただきまして、しかるべくちゃんとしたい。

いやあもう今、議員がおっしゃったのは、ほんの全体の中から、ほんの一部なんですね。いろんな世界がありましてですね、いろんな説があるんですね。まあ木戸家にとってみれば、これは大変なことであります。木戸家の正史には一切ない話であります。なかなかいわく言いがたいこともありますが、まあしかし木戸公の名誉の話もありますので、あんまりこれ以上、この公の場でという気持ちもございます。どうかあの、ただし、井上剣花坊のような、ああいったことがなかなか起こらないようにですね、十分気をつけてまいりたいと思います。

とりあえず、野村氏長の答弁は歯切れが悪い。っでツッコミどころ満載。ってか、ちょいと頭に来る表現も含まれている。

以前宮内議員のブログに「なんであれ市長が公の場で謝罪したのであれば大きな進展ですね。」ってコメントしたけど、会議録見る限りは謝罪と呼ぶにはほど遠いものだわ。

「幽霊のようなサイト」「信用できない」に対しての市長の答弁は「行き過ぎたことがあれば私も失礼したかと思います」だけ。謝罪であるのかどうかも判断出来ないよな。それ以上に議会の場に持ち出した宮内議員が悪いかのような言い訳は、非常に見苦しい。

仮に実名・住所を明らかにされた研究者の説であっても、それが正しいとは限らない。というより名の売れた方ほどいい加減な研究者が多いと言っても決して言い過ぎでは無いと思う。一坂氏が住所を明らかにされているのかどうかは知り得ないが、実名を明らかにされているのに「信用できる」と判断できない記述をされたのが今回の騒動の発端では無いのか?しかも孫引きに等しいような研究だけでね。

しかも未だに「学者先生の本は名前も住所もちゃんと書いてあるんですね。正々堂々とやる。」なんて言ってる。じゃぁオリオンさん、あるいは宮内議員は正々堂々としてないの?未だに紙媒体の書籍と WEB が別のものだと理解できないんですね。なんとも時代遅れの考えをお持ちの市長さんなんですね。

結局市長はね、肩書きでしか判断できないとご自身で仰っている気がしてならない。

それから山口新聞について市長は「表現はよく読んでいただきたいですね。」と答弁されているけど、よく読む必要があるのは市長だな。

記事中の「二人に子はなく、忠太郎を養子にするが、通説では木戸が出石に身を隠した際、脱出を手伝った広戸甚助の妹との間にもうけた子とされる。」って表現は川崎先生や維新を語る会さんの発言では無く、あくまで記者が書いたもの。記者が「通説」としたのは一坂氏の説を引き合いにするためだと思っている。

少なくとも川崎先生や維新を語る会さんが「忠太郎さんがみねの子である」という説が、通説と呼べるほど一般的なものであるとは微塵も思っておられない。著書でその説を書かれたのが3人だけであり、その内2人の方には典拠を確認されている。結果最初にその説を書かれた霊山資料館の木村氏著「幕末竸艶録-志士とおんなたち・高知新聞社発行・八十四頁」からの孫引きである事が判明している。

どこに「川崎さんのあのグループ」が書いたって事実があるんだろうね。第一「あのグループ」って表現も公人としてはちょいと失礼なんじゃ無いか?グループの中にヲイラを含めて、このブログのエントリーが気に入らないって事であるなら、それも勘違いでしか無い。ヲイラは維新を語る会の会員でも無いし、川崎先生・大西会長には大変御世話になっているけど、グループと呼ばれる関係でもない。

っで何よりこのくだり。

いやあもう今、議員がおっしゃったのは、ほんの全体の中から、ほんの一部なんですね。いろんな世界がありましてですね、いろんな説があるんですね。まあ木戸家にとってみれば、これは大変なことであります。木戸家の正史には一切ない話であります。なかなかいわく言いがたいこともありますが、まあしかし木戸公の名誉の話もありますので、あんまりこれ以上、この公の場でという気持ちもございます。

木戸忠太郎さんについて質疑されている場で、こう答弁すれば、忠太郎さんの話は木戸家にとって言い難い、名誉を傷つけるかもしれない内容だから公の場で話せないって意味になるんじゃないかい。そんな逃げ方するのなら、元々取り上げなければ良い話でしょ。1年以上経過しても、未だに「もうちょっと時間をいただきまして、しかるべくちゃんとしたい。」なんて言ってるようじゃ、調査する気が無いか、調査する能力が無いかのどちらかでしか無い。

まともな調査ができないのなら、東行庵の史料を勝手に持ち出した問題にまで遡る必要が出てくるよ。

とっとと謝罪広告でも打って、絶版の上回収するほうが良いって。間違いを真摯に訂正できないのなら、不確実な要素が多い歴史に触れるべきじゃ無い。しかも郷土の英雄でもある木戸公を面白おかしく題材にすべきでは無い。

今回の問題って、いい加減な研究で史実では無い内容をさも史実であるかのように書いた一坂氏のミスであり、それをチェックする事もできずミスを認める勇気を持たない野村市長が、保身のために言い繕っていると、誰の目にも明らかなんじゃ無いかな。

訂正・謝罪ってきっと何時まで経っても無理だと思うから、萩ものがたり自体の廃刊を検討するほうがよさげ。

唯一「おぉ!」と感じたのは、宮内議員の「とてもまじめで、萩出身の木戸孝允のことを高く評価して、全世界に紹介しています。なぜもっと木戸の評価が高まらないのだろうか。こういっておられるぐらいです。ですから、萩市が表彰してもいいなと思うぐらいのサイトです。」って発言。

本当に表彰しても良いと思うよ。オリオンさんのサイトにアクセスして、木戸公・幕末・萩に興味を持った人は少なくないはず。その結果、萩に訪れた方もきっとおられるだろう。萩市として感謝こそすれ、誹謗中傷する相手では絶対無い。

それに「まあ確かに木戸公を宣伝いただいたことは本当にありがたい。ありがたい。これは評価しています。」なんて言い方もちょいと失礼。木戸公は商品でも無いし、観光資源でも無い。せめて礼を述べるのなら「木戸公を顕彰頂いた」ぐらいは言わないと…。

コメント

 トラックバックありがとうございます。市長答弁の議事録は少しおかしいですね。「謝れといわれれば、謝りますが」というところが抜けていますね。精査してみます。これじゃあ謝罪にはならないと受け止められるのは当然ですから。ここは大事なところです。
 しかしおっしゃるように、一坂氏の早合点であることは間違いないです。学者と自負する学芸員が、原史料に当たらずに書くということが問題です。彼も市長同様、自らの誤りをかたくなに認めません。この人の書くことがすべて信用できなくなります。私の彼に対する評価は地に落ちています。市長も同様ですけど。学者には間違っていたらそれを認める謙虚さが必要ですね。

  • 2009/06/25(木) 08:43:24 |
  • URL |
  • みやきん #-
  • [ 編集 ]

> 市長答弁の議事録は少しおかしいですね。「謝れといわれれば、謝りますが」というところが抜けていますね。精査してみます。

おや、それはおかしい事ですね。
もし何らかの意図があって、その部分を削除していたなら問題です。

> これじゃあ謝罪にはならないと受け止められるのは当然ですから。ここは大事なところです。

削除したという前提に立てば、削除理由はこの部分でしょうね。

> しかしおっしゃるように、一坂氏の早合点であることは間違いないです。学者と自負する学芸員が、原史料に当たらずに書くということが問題です。

ここは微妙なように感じます。
できれば原史料を自ら研究される事が望ましいですが、史料によっては困難な場合もあると思います。必要なのは典拠を明らかにし、二次史料についての意見であるとわかる文体にする事でしょう。

今回の場合で言えば、原史料は広戸家の老婆らしい方の証言です。取材された木村氏がその証言を基に執筆されたわけですが、果たしてその老婆が広戸家の誰であるのか?その証言の信憑性については木村氏以外検証する事はできません。


> 彼も市長同様、自らの誤りをかたくなに認めません。この人の書くことがすべて信用できなくなります。私の彼に対する評価は地に落ちています。市長も同様ですけど。学者には間違っていたらそれを認める謙虚さが必要ですね。

仰る通りです。

全く裏の取れていない情報ですが、一坂氏が東行庵に戻られる可能性があると聞きました。東行庵とは決して良く無い関係である事は明らかですから、もし一坂氏が戻られるとしたら相当な口添えがあったのかな?と下衆なヲイラは勘ぐってしまいます。

  • 2009/06/25(木) 14:46:28 |
  • URL |
  • naka #upkHALyQ
  • [ 編集 ]

謝罪はないですね

 私の受け止め方の違いでした。謝罪の言葉はありません。昨日議会事務局で確認しました。録音を聴いてみると、謝罪の言葉はありませんでした。「これが行き過ぎたことがあれば私も失礼したかと思いますが」という部分のことを謝罪と私も早合点したのですね。それでもなんだか記憶の隅に残っているようで・・・しかし録音にはありませんので私の「ぼけ」でしょう。
 そうか原資料に当たれない場合もあるんだ。老婆の聞き取りじゃあどうにもならんですね。木村さんしか検証できないものを木村さんが書いたら「通説」になるということですか。
 東行庵との関係はある程度修復したようです。高杉の史料もその多くは、萩博物館から移管されました。昨夏合意しています。その後の一坂氏の去就については何も情報は持っていませんが、どうするんじゃろうかという声もありました。市長が高杉史料といっしょに連れてきたんで、また史料といっしょにかえすかもしれませんね。今は特別学芸員ということで、非常勤で週に数日3日程度の萩勤めです。いなくてもいいでしょう。
 

  • 2009/06/26(金) 09:14:08 |
  • URL |
  • みやきん #-
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