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よっぱ、酔っぱ。ただの酒飲みでよっぱなヲイラの戯言です。

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史跡案内。

Category : 歴史

史跡案内の解説文についての諸々。


【ここから続き】

池田屋跡地に居酒屋がオープンしたのって、既にご存知の方も多いと思う。ヲイラはまだ行って無いってか、行く気も無いんだけど。先日知り合いが覗いた感想を教えてくれた。

何やら店内に入ると「140年ぶりに復活した」云々ってな解説が書かれているらしい。元治元年(1864年)だから145年ぶりの復活ならわかるんだけど、140年ってのは何?そこで知り合いが店員さんに「これはどういう意味ですか?誰が監修されたんですか?」と尋ねると、はっきりと誰とは言わないが「地域の方が…ごにょごにょ」と言葉を濁されたらしい。これは想像でしか無いんだけど、あの場所で「地域の方」って言い方をするのなら地元商店街しか無いよな…。

地元商店街は近隣にある碑に解説板を設置しているんだけど、結構いい加減。単なるミスとは思え無い内容があるので、ちょいと書いてみる。

三条小橋商店街「周辺史跡のご案内」

佐久間象山(さくま しょうざん)、大村益次郎(おおむら ますじろう)遭難の碑(三条小橋の北側角)

佐久間象山は信州松代藩の出身、彼の塾からは勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬らを輩出しました。1864年に上洛し、開国論を唱えて公武合体に努めたため、同年七月十一日に刺客に斬殺されました。

大村益次郎は梅田幽齋に学び、さらに緒方洪庵の敵塾でも学んで兵学者となりました。維新後、兵部大輔に任命され、近代兵制樹立に力を尽くしましたが、廃刀論で士族の反感を買い、明治二年に三条木屋町にて反対派士族に襲われ、肺血症で亡くなりました。

先ずは紹介されているのは「遭難の碑」じゃ無いです。「遭難の碑への道標」です。ちゃんと「北へ約壱丁」と書かれてるんですけどね。っでここからは京都人で無ければ理解できないかもしれないけど「三条木屋町にて反対派士族に襲われ」って書き方は、何が何でもこの碑を「遭難の碑」としたい思惑があるように感じちゃいます。

京都の住所表記は東西・南北の道が交差する地点からどちらに行くのかで表す場合が多いんですが、東西・南北の道どちらを先に書くかで意味が異なります。「三条木屋町」と書けば、あくまで三条通りにある場所を表す為に木屋町通りから東に行くのか、西に行くのかって事になります。

逆に「木屋町三条」と書けば、あくまで木屋町通りにある場所を表す為に三条通りから北に行くのか、南に行くのかって事になります。この辺りは京都の人間なら当たり前の事だし、意識しなくても自然と使い分けているかと。

でもって大村益次郎が襲われたのは「木屋町三条上がるの旅宿」って書き方が一般的。ここにも京都人で無ければ理解できないかも知れない書き方が含まれていて、「木屋町三条上がる」はどこまでで、「木屋町二条下る」がどこまでって明確な分け方は存在しないです。

二条通りに面している・角地であれば「木屋町二条」ですが、一件南にあれば「木屋町三条上がる」・「木屋町二条下る」どちらも使います。特に商店主であれば「下る」と言う言葉を嫌い「上がる」で表記する場合も良くあるようです。

実際大村益次郎が襲われた「木屋町三条上がるの旅宿」ってのは特定できていませんが、ほぼ「木屋町二条下るの旅宿」と書くほうが相応しい場所です。大村益次郎に関する信頼できる資料でも「三条木屋町にて反対派士族に襲われ」といった書き方はされておらず、「木屋町三条上がるの旅宿」です。

このようなちょっとした住所表記の方法を地元で長年商売をされている方が理解されていないとは思え無いので、意図的に「三条木屋町」と書きここが遭難の場所であると広めようとされているとしか思えましぇん。

更に、

高瀬川生州(たかせがわいけす)(三条小橋の南側角)

これは安永9年(1780)に発行された「都名所図絵」の高瀬川の生洲の図です。

高瀬川は慶長19年(1614)に当時の豪商「角倉了以」が私財を投じて創った運河です。この川に高瀬舟を通し下りは京の石や材木などを伏見港まで運び、乗り継いで三十石舟で大坂へ。上りの舟は人力で引き大坂から諸国の塩や海産物などを京まで運びました。

この図では江戸中期頃から三条、二条間で栄えた生け州料料理屋の図です。川に面した座敷があり鯉、鮒、鰻などの川魚や鴨などを店の生け州(高瀬川の水を引き込んだ)や庭に飼っておいて、客の注文に応じて料理を出し、大変繁盛しました。京の人のみならず、観光客も楽しみました。酒は出すが女人禁制で琴、三味線等の音曲も禁止で男性だけの清遊の場でした。図の右端、板の間の向こうに生州があり魚が泳いでいるのが見えます。また、川柳か俳句でも競い合っているようです。

今もこの周辺には飲食店が軒を連ねていて、大いに賑わい生州料理店の発祥の地です。

えとですね、「三条小橋の南側に生洲は無かった」と言えるほど知識は無いですが、一般的には三条小橋の北側(一本北の橋辺り)にあった生亀が一番有名っす。他にも現在の「がんこ二条苑」前辺りに生洲があり、それが東生洲・西生洲という町名になったのも有名。でもって転載されている絵図をよく見ればわかるけど「生州といふは高瀬川筋三條の北にあり。」と、はっきり書かれているんだけどね…。

「高瀬川筋三條の北にあり。」と書かれた絵図を用いて「三条小橋の南側角」と紹介するってのもね…。

話戻って池田屋。8月3日発売の週刊ポストで取り上げられるらしい。どんな内容かは全く知らないんだけど。

なんて事を書くと、よく調べもせずに「どうもこの人が「平成の寺田屋騒動」の仕掛け人みたい。」なんて書くブログが現れるんだろうな。調べもせずに好き放題推測だけで書きながら、マスゴミとか取材能力について言及しているのもどうかと思うけどね。

反論はいくらでも受け付けますので、その際は是非「この人のブログ→日刊サイゾー→週刊ポストという経緯。」について証明してくださいな。

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