AX

よっぱ、酔っぱ。ただの酒飲みでよっぱなヲイラの戯言です。

スポンサーサイト

Category : スポンサー広告

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

勤皇芸者桔梗屋お辰の曾孫。

Category : 歴史

ちとぶち切れた話。


【ここから続き】

維新を語る会の川崎先生は勤皇芸者桔梗屋お辰こと辰路の曾孫。辰路は久坂玄瑞と恋仲になり「久坂を追うお辰」の画のモデルとしても知られている。

同会に参加されていた石田孝喜氏にも辰路に関する様々な情報を提供され「幕末維新京都史蹟辞典 久坂玄瑞の密議の角屋」の項でも「辰路の曾孫川崎泰市の調査によると」と紹介されている。

ところが今年3月に発刊された「幕末京都史跡大事典」の同じ項では、「辰路の曾孫という川崎泰市(事実に非ず)の調査によれば」と修正されているでは無いか。これはひどいよな。どんな根拠があって「事実に非ず」なんて書けるんだろう。

先生が同会に入会される以前から久坂玄瑞の子「久坂秀次郎」の子孫が参加されていた。久坂家の歴史を調査するため同会の O 氏が尽力されていたらしい。秀次郎は久坂と伏見の女性・佐々木ひろの間に生まれた子と伝えられていたが、佐々木ひろに関する情報はおろか佐々木ひろの存在自体を示す資料が見つからない。

そこで当時一番久坂に近しかった辰路の子では無いか?との仮説が立てられた。しかしこれも明確な情報・資料は見つからない。そこに同会に入会した川崎先生から「私は辰路の曾孫なんです。」と知らされる。O 氏達は早速川崎家の謄本等を取り寄せるが、そこには辰路の名前が出てこない。何故なら辰路の長男であり川崎先生の祖父にあたる小八郎氏が6歳の時、辰路が竹岡甚之助に嫁ぐ際、負野家に養子に出されたからだ。負野家は薫物線香販売の薫玉堂であり香道の名家として京華要誌等でも紹介されている。

しかし「曾孫という証拠が無い」として疑いをかけられ、久坂玄瑞の子孫とも論争に発展したようだ。戸籍制度の無い時代に謄本に記載が無いから証拠が無いと言われてもね。後年遡って記述するさい、養子であるか実子であるかなんて事にどこまで拘るのかも夫々だと思うし。

子孫は弁護士を通じて川崎先生に内容証明郵便を送りつけた。「今後辰路の曾孫と公言するな」といった内容だったらしい。実の曾孫で有る以上はそんな理不尽な要求を受け入れられるはずも無く、川崎先生は直ぐに返信されたようだが、それ以降子孫からは全く連絡が無く、いつしか「秀次郎は玄瑞と辰路の子である。」という話だけがまことしやかに様々な書籍で紹介される。

古川薫氏は著書「台所日本史となりの夫婦たち」で子孫から聞いたとして「秀次郎は玄瑞と辰路の子である。」といった内容が書かれているし、一坂太郎氏は著書「日本史有名人の子ども(新人物往来社)」で明記こそされていないが川崎先生が子孫に伝えた情報そのままが掲載され、「秀次郎の母は玄瑞が懇意にしていた西村タツであるという。」とも書かれている。

しかし大きな疑問が残る。秀次郎は1864年9月9日に生まれているが、辰路は翌年5月5日に小八郎を出産している。9月10日に仕込んだとしても8ヶ月程しかない。産科の医師にも確認されたが、不可能との回答だったらしい。

辰路は竹岡に嫁ぎ三人の子どもを授かっており、次男は烏丸四条下がるの伊吹という呉服屋に養子に出されている。伊吹という姓でお気づきの方もおられると思うが、その孫は自民党伊吹文明氏である。

川崎家には辰路の位牌も存在するし過去帳には当然の事ながらご先祖さんの俗名や法名も書かれている。辰路の墓は現在川崎先生がお守りされているし、辰路の葬儀広告や関係資料も全て残されている。

秀次郎の母が辰路であるとする明確な史料は存在しない、数々の資料は全て川崎先生が辰路の曾孫である事を示すものばかり。

一体石田孝喜氏は何を根拠として「事実に非ず」なんて事が書けるんだろう。

維新を語る会大西会長が電話で尋ねられた。すると「裁判で負けたんだから」って言葉だけだったらしい。川崎先生が電話すると「裁判で負けたのだから歴史は変わらない。」と言うや一方的に電話を切られたらしい。

はて?裁判に負けたとは何を指すんだろう。提訴された事実は無いし、ましてや敗訴した事実も無い。調停すら存在しない。内容証明のやり取りが何時の間にか裁判に変わり、連絡が途絶えた事が敗訴となったとしか思えない。根拠の無い話を正当化する術が間違った認識という、これはどうにもならない勘違いの連続。意図的であるならこんなひどい話は無い。

仮初石田氏の主張が正しいのであれば、うそつきである川崎先生の調査を載せる必要は無い。何故ならうそつきが主張するうその調査結果である可能性が高いんだから。第一「幕末維新京都史蹟辞典」への掲載は許可されているが、タイトルも異なる「幕末京都史跡大事典」への掲載は全くの無許可である。他人の調査結果を用いるのに事前連絡も確認も一切無し。これでは筋が通らないよな。

史実と断定できない話で様々な説が出るのは仕方無い。逆に様々な説が出ることで多くの人の目に触れ調査・研究がすすむ場合だってあるだろう。でも他人の家系についてまともな史料も無く、満足いく調査もできていない状態で「事実に非ず」なんて書くことは決して許される事では無い。

ヲイラは川崎先生に提訴すべきと強く訴えた。最低限でも大手新聞への謝罪広告、そして「幕末京都史跡大事典」の絶版。それぐらいは当然だろう。全国にうそつきと広められているんだから。事を荒立てるのが嫌いな川崎先生だから提訴の可能性は低いんだろうけど、もし提訴したなら限りなく100% に近く勝訴できるだろう。その時石田氏の「裁判で負けたんだから」って言葉は自身への言葉になるんだろうな。

コメント

それはひどい

25、6年前ぐらいでしたか、自分は久坂玄瑞の曾孫だと川崎氏(平安高校)が言われていました頃にお目にかかった事はあります。
一生懸命調べ、資料も集め語っておられましたから、今では知る人は知るだろうと思います。
しかし、なぜ今ごろになってなのでしょう。

石田氏は、以前の京都維新史跡事典が寺井資料の全くの孫引きだったのが不評なので、NHKドラマに合わせてか新しく出し直したのでしょうね。恐らく弟子たる中村武生氏の助言もあってでしょうが、それゆえの強気姿勢だ、と考えていいのではないでしょうか。

石田氏の書く記述は怪しいので、小生は信用していません。
歴史研究を顕彰するよりも、あくまでも本来は写真家なのですから。
東京の新撰組関係者(宮川豊治さん?)からの伝で京都に来た方で、寺井資料や金子資料を取り込んだだけの人だ、と伺ったことはあります。
文才がないので、いきおい孫引きに走るのかも知れません。

そうですか、まだその新しい京都維新史跡事典は見ておりませんが、高いばかりでどうせ大した事はないか、と思っています。

こうした縁戚問題は多々あるようです。
秀次郎氏の側からの資料提示はどうなっているのでしょうか。

  • 2009/09/16(水) 20:55:38 |
  • URL |
  • 伊三郎 #-
  • [ 編集 ]

コメント失礼致します

初めまして。幕末長州藩好きな通りすがりの者です。
川崎さんと辰路さんのご関係がよく分かりました。
こういった「歴史上の人物の孫」などの話題は、第三者から見ると大変興味深いのですが、関係者にはデリケートな問題なのですね。
しかし、こういう女性は普段あまり話題にのぼらず、情報も少ないので取り上げてくれた事が個人的には嬉しいです。

ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか・・・
話がずれてしまうかも知れませんが、「小八郎」氏は嫁ぎ先の方との子供なのでしょうか?初めて聞いた名前で、知識がまったくないので、もし差し支えなければ教えていただければ幸いです。

以上で失礼いたします。

  • 2009/09/26(土) 01:15:36 |
  • URL |
  • 薫 #X.Av9vec
  • [ 編集 ]

伊三郎さん wrote
> しかし、なぜ今ごろになってなのでしょう。

今ごろになってというより著書の出版にあわせてなんでしょう。幕末維新京都史跡事典の改訂版が1997年ですから12年間の間に偽りと考えられたのだと。

> 石田氏は、以前の京都維新史跡事典が寺井資料の全くの孫引きだったのが不評なので、NHKドラマに合わせてか新しく出し直したのでしょうね。

ヲイラが以前指摘した大村益次郎卿遭難之碑の建立年度等は、維新の史蹟からの孫引きのようですし。元々は京都や京都の史蹟についての情報を入手するために維新を語る会に入会され、多くの史料を手にされると退会されたと理解しています。最近になって「川崎が辰路の曾孫で無いから退会した」、言わば「ウソツキ者がいる会だから退会した」といった趣旨の発言をされているようです。

> 恐らく弟子たる中村武生氏の助言もあってでしょうが、それゆえの強気姿勢だ、と考えていいのではないでしょうか。

ん~~~、中村氏が果たして師弟関係と呼べるのかどうかは疑問です。場所によって色々な方の弟子と使い分けた発言をされているように伝え聞いていますし。

> 歴史研究を顕彰するよりも、あくまでも本来は写真家なのですから。

写真家なのですか?

> そうですか、まだその新しい京都維新史跡事典は見ておりませんが、高いばかりでどうせ大した事はないか、と思っています。

タイトルは「幕末京都史跡大事典」となっていますが、これまでの改訂版と考えるほうが良いです。「京都史蹟めぐり」のように行政区毎に分類され、藩邸跡等が追加されているぐらいです。

> 秀次郎氏の側からの資料提示はどうなっているのでしょうか。

久坂家が発表されている系譜等にはお辰が秀次郎の実母であるとしているようです。その証明のために掲載されている法名や没年度等資料は全て川崎先生が伝えられたものですが、掲載に関しての許諾申請も無かったようですし資料提供者としてのクレジットも無いようです。

その久坂家からの情報を基に書かれたのが、古川薫氏の「台所日本史 となりの夫婦たち」であり一坂太郎氏の「日本史 有名人の子ども」です。

----------------------------------------

薫さん wrote

> こういった「歴史上の人物の孫」などの話題は、第三者から見ると大変興味深いのですが、関係者にはデリケートな問題なのですね。

「幾松の実家である生咲家は途絶えた」なんて事を調べもしないで書く方もおられます。又歴史を捏造することによって、そこに関係する方々の歴史までをも変えてしまっている事に気付かない方も多いです。

> しかし、こういう女性は普段あまり話題にのぼらず、情報も少ないので取り上げてくれた事が個人的には嬉しいです。

ありがとうございます。
情報が少ないから取り上げられ無いのかもしれませんし、仮にどこかで取り上げられても、著者の知名度や出版社によって情報を知らない場合もあるのでしょう。
昨年山口新聞が「勤皇芸者」を5回連載で取り上げたのはご存知ですか?幾松については拙ブログでも取り上げましたが(http://yoppa.blog2.fc2.com/blog-entry-555.html)、辰路も同連載第5話で取り上げられました。

> 話がずれてしまうかも知れませんが、「小八郎」氏は嫁ぎ先の方との子供なのでしょうか?

「小八郎」氏の父親については不明です。「勤皇芸者桔梗屋お辰の曾孫No2。」を今書いているのですが、父親を示す資料は存在しないようです。

もし「小八郎」氏の事を書けば秀次郎の母親が辰路であるとする説と矛盾が出てくる。又「小八郎」氏についての情報を提供された川崎先生の発言を認める事になってしまう。そんな理由から「小八郎」氏について書かれる資料が皆無なんでしょう。

現在辰路について書かれた資料の多くは、川崎先生の調査結果を基に書かれたもの、あるいは孫引きされたものです。秀次郎の子孫が発表されている資料についても川崎先生が提供された資料が基になっています。

  • 2009/09/27(日) 20:50:58 |
  • URL |
  • naka #upkHALyQ
  • [ 編集 ]

>「勤皇芸者桔梗屋お辰の曾孫No2。」を今書いているのですが、

下書き全部消えました…。
(T_T)

  • 2009/09/28(月) 00:16:43 |
  • URL |
  • naka #upkHALyQ
  • [ 編集 ]

勤皇芸者桔梗屋お辰の曾孫

こんにちは!
この「勤皇芸者桔梗屋お辰の曾孫」のお話も非常に面白いですね。
このサイトの各項目は本当によく調べて書かれているので、勉強になります。
ぜひ「勤皇芸者桔梗屋お辰の曾孫2」もお願いいたします。

> ぜひ「勤皇芸者桔梗屋お辰の曾孫2」もお願いいたします。

既にアップしています。
勤皇芸者桔梗屋お辰の曾孫No2。
http://yoppa.blog2.fc2.com/blog-entry-580.html

  • 2010/01/14(木) 09:52:58 |
  • URL |
  • naka #upkHALyQ
  • [ 編集 ]

コメントの投稿

  • 投稿前に必ずお読みください。「はじめに-コメント
  • スパムが激増しているためコメントは承認制にしております。
  • 承認までコメントは表示されません。

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://yoppa.blog2.fc2.com/tb.php/577-b45898c1
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。