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よっぱ、酔っぱ。ただの酒飲みでよっぱなヲイラの戯言です。

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勤皇芸者桔梗屋お辰の曾孫No2。

Category : 歴史

前回の続編と一部訂正。


【ここから続き】

前回の復習。

簡単にまとめると久坂玄瑞の子供とされる秀次郎の母親は現在も不明である。一般的には勤皇芸者桔梗屋お辰と言われているが、元々は伏見の女性・佐々木ひろであると伝えられていた。

佐々木ひろから桔梗屋お辰に変ったのは、佐々木ひろの存在を示す資料が見つからなかった為、当時久坂玄瑞と恋仲にあった桔梗屋お辰では無いか?との仮説によるもの。

しかし維新を語る会川崎先生が桔梗屋お辰の曾孫であり、秀次郎と同時期にお辰が産んだ小八郎の存在を明らかにすると、川崎先生がお辰の曾孫では無いとする研究家が現れた。

ってのが前回の内容。

先ず訂正から。

子孫は弁護士を通じて川崎先生に内容証明郵便を送りつけた。「今後辰路の曾孫と公言するな」といった内容だったらしい。実の曾孫で有る以上はそんな理不尽な要求を受け入れられるはずも無く、川崎先生は直ぐに返信されたようだが、それ以降子孫からは全く連絡が無く、いつしか「秀次郎は玄瑞と辰路の子である。」という話だけがまことしやかに様々な書籍で紹介される。

この辺りの経緯については「鴨の流れ第13号」に詳しく書かれていた。

鴨の流れ第13号

系譜調査私考 川崎泰市

当初の時点では、久坂氏と私の間では、「久坂の遺児は秀次郎であり、玄瑞の愛人桔梗屋お辰は私の曽祖母」であることを口約束で確認した上で、資料も交換し調査家庭での協力もしてきました。

昭和三十六年、京都歴史研究会の機関紙『歴史の窓』の誌上で、私は「久坂玄瑞追跡余話」という一文を投稿いたしました。

平成元年七月八日、これを読まれた久坂氏は、「桔梗屋お辰の子は小八郎(私の祖父)であると、久坂氏と私で了解しております。」という私の記事を取り上げて、「この記事は全くあずかり知らぬことで、川崎氏が勝手に作文した嘘の記事であり、投稿全体についても嘘の記述」としての反論がなされました。

さらに同年七月二十六日には、久坂氏代理の弁護士を通じて、私の記事が名誉毀損に該当するとの文書が内容証明郵便で送られてきました。

私としては、単なる口約束のことで紛糾するのを避けるため、了解云々の部分は誤解による記述であり取り消す旨を、私の代理弁護士を通じて申し出ました。

それ以前平成元年四月十日にも久坂氏は、私が高杉晋作墓所東行庵発行の『東行庵だより』に投稿した文書の訂正を、東行庵々主の故谷玉仙尼様を通じて申し出られていたこともあります。

「今後辰路の曾孫と公言するな」といった内容では無く、川崎先生の投稿文が「名誉毀損にあたる」との内容であり、その対応として「桔梗屋お辰の子は小八郎(私の祖父)であると、久坂氏と私で了解しております。」については口約束で証明することが困難であることから「誤解による記述」と取り消されたのが事実のようだ。

それであっても敗訴した事実はおろか、提訴・調停の事実すら無い以上、石田氏の「裁判で負けたのだから」との発言根拠にはならない。

次に川崎先生から見せて頂いたお辰関連の資料集に一番わかりやすい書類があったので紹介する。

お辰は竹岡家に嫁ぎ三人の子を授かっており、その長男が七治郎、その子つまりお辰の孫にあたるのが一郎。その一郎氏には娘二人がいたが何れも嫁ぎ苗字が代わっている。そのため、竹岡家の墓を守る人間が一郎氏で途絶えてしまう事になった。

そこで一郎氏からすれば従兄弟の子(従甥って言うんだね…)にあたる川崎先生に墓を守って欲しいとの依頼をする。川崎先生は断る理由も無く受けられるんだが、その際菩提寺に一郎氏が提出した証明書が存在する。

証明書には竹岡家の系図が書かれ、「竹岡七治郎は泰市(川崎先生)の祖父小八郎の弟」と書かれている。

七治郎氏がお辰の子供であり、一郎氏が孫である事は戸籍からも明らか。菩提寺に嘘の証明書を出してまで川崎先生に竹岡家の墓を守って欲しいと依頼する理由はどこにも無い。

もし秀次郎氏がお辰の子供であるのなら、何故久坂家に打診しないのだろう。竹岡家次男(現 伊吹家)に打診したのかについてはわからないが、一郎氏が川崎先生に依頼されたのは、お辰が産んだ最初の子が秀次郎では無く、川崎先生の祖父にあたる小八郎だから。

まもとな調査もせず平気で「事実に非ず」なんて書かれるのだから、他の調査についても同程度なんだと疑わざるを得ない。幾松についても訂正されていないし、大村益次郎遭難之碑や山崎町についても同じ。もっとも孫引きが多いから元々調査自体されていない可能性もあると考えるほうが良いのかもね。

コメント

自分にとってはどうでも良いことですが・・・・・
とのかく自分は子孫を調べているのでは無くて、史実を追っているのです。
したがって、子孫の方にお話を伺うのは必要でしょうが、
懸命に力説されると道化に思えて(笑)

  • 2009/12/09(水) 21:18:18 |
  • URL |
  • G-5 #-
  • [ 編集 ]

> 自分にとってはどうでも良いことですが・・・・・
> とのかく自分は子孫を調べているのでは無くて、史実を追っているのです。

ちょいと意味不明なんですが、ヲイラがG-5さんに対して「子孫の話を聞け」といった趣旨の発言をしましたか?

本エントリーで上記コメントを書かれているって事は、G-5さんは石田孝喜氏って事なんでしょうか?

> したがって、子孫の方にお話を伺うのは必要でしょうが、
> 懸命に力説されると道化に思えて(笑)

そう思われるのなら、どうぞご自由に。

ヲイラからすれば「どうでも良い」と感じながら、わざわざ力説される G-5さんが道化に思えます。普通は「どうでも良い」ならコメントしませんし、コメントするなら「どうでも良い」なんて書かないですから。

  • 2009/12/10(木) 16:10:46 |
  • URL |
  • naka #upkHALyQ
  • [ 編集 ]

>本エントリーで上記コメントを書かれているって事は、G-5さんは石田孝喜氏って事なんでしょうか? <

いえ 違いますよ、石田さんほどの研究を出来るだけの能力は、自分には有りませんし、レベルが完全に稚拙です。
コメントの書き方も稚拙でした。
煩わしい文言ですみませんでした。
nakaさんの的確な研究には敬服しております。

  • 2009/12/13(日) 22:48:53 |
  • URL |
  • G-5 #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

> 石田さんほどの研究を出来るだけの能力は、自分には有りませんし、レベルが完全に稚拙です。

石田氏の功績が大きい事は事実です。
しかし明らかな間違いが多いのも事実です。
間違いは現在だからわかる事では無く、著書執筆時にきちんと調査されておれば間違わなかったであろうものです。
結局は寺井氏等々の著書からの孫引きが非常に多いからなんだと考えています。

問題とするなら石田氏の信者?らしき方々が石田氏の著書を鵜呑みにして、自身で何ら検証されないまま情報を垂れ流している状態でしょう。

> nakaさんの的確な研究には敬服しております。

木屋町二条~三条間に特化した調査ですので、そこを離れれば何も知識がありません。

  • 2009/12/14(月) 10:26:37 |
  • URL |
  • naka #upkHALyQ
  • [ 編集 ]

こんにちは、
確かに、仰る通りです。
鵜呑み、孫引き。
自分に限っては、有りがちです反省・・・です。
自分でも良く調べてみる様に心がけたいと思います。
最近、不審なところに腑に落ちない石柱があったりする事も有りますので、用心を重ねたいと自覚致しました。
例えば川または沼中であったのではと思うところに、唐人雁木跡の石柱があったり、本年の初めには無かった、薩摩伏見屋敷跡の石柱が、突然現れたりしてますので・・・。
ご指摘、ご指南有難う御座いました。
以後、くいだらないコメント&訪問は極力差し控えさせて頂きます。
失礼致しました。

  • 2009/12/17(木) 15:46:19 |
  • URL |
  • G-5 #-
  • [ 編集 ]

大切なのは

大切なのは先人の書いたものや歴史調査の内容を、当時の状況も考慮して尊重しつつも、もう一度自分で再検証し続けてゆくということですよね。
先人の成果のどこが具体的に間違っているのかを、検証することは決して悪いことではないです。
むしろそういうことが歴史学の進歩です。
それと次の世代を育てるということも重要だと思います。

ヲイラが一番感じるのはブログというツールにより誰でもが簡単に情報発信できるようになったのは素晴らしい反面、まるで情報発信することだけに価値があるかのように、孫引きだけの情報が氾濫するようになった事です。

その上、検索上位にHIT する、あるいは情報数が多ければそれだけで信用に値するとして右から左に垂れ流す大手企業・商工会・商店街・メディアが存在します。

歴史学が何であるのかも理解していませんが、進歩・発展を考えるのであれば上記のような存在がきっと大きな障害になっているのでしょうね。

  • 2010/01/16(土) 19:09:10 |
  • URL |
  • naka #upkHALyQ
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桔梗屋お辰

桔梗屋お辰の写真はないのでしょうか?
最近、気になって、・・・見たくてしょうがないです。(笑)

桔梗屋お辰の写真は三枚現存し、全て川崎先生が所蔵されておられるようでが、まだ一度も公開されていませんし、今後も公開される予定は無いようです。

久坂秀次郎がお辰の子であり、石田氏の「川崎氏は曾孫に非ず」といった発言が共に事実であるなら、何故久坂家にお辰の写真が存在せず他人の川崎先生が所蔵されているのでしょうね。しかも石田氏は史跡辞典を執筆される際、川崎先生に写真提供を申し入れされているんですから。

  • 2010/02/18(木) 22:20:55 |
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  • naka #upkHALyQ
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