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「龍馬と歩く京のまち」散策マップ

Category : 歴史

京都市やっちまった…。


【ここから続き】

龍馬と歩く京のまち

龍馬と歩く京のまち

先ずは京都新聞の記事から。

Kyoto Shimbun 2009年10月27日(火)

龍馬ゆかりの史跡や名所を歩こう 京都市が幕末観光マップ

来年1月に始まるNHK大河ドラマ「龍馬伝」に合わせ、京都市は坂本龍馬ゆかりの幕末史跡・名所を歩いて巡る観光マップを作成した。

薩長同盟締結の舞台となった薩摩藩邸跡や京都御所を巡るコース、壬生付近の龍馬と妻・お龍が会っていたとの伝説の残る武信稲荷神社周辺を歩くコースなど5コースを紹介している。

当時に思いをはせながら散策できるよう霊山歴史館(東山区)の学芸員が監修し、龍馬の生涯と幕末史も簡潔に紹介している。A4判8ページ、30万部発行。11月2日から市観光案内所などで無料配布する。

早速探して今日入手したんだが、昨夜京都市情報館に広報資料とマップの PDFファイルがアップされているのを発見。

広報資料 平成21年10月21日 産業観光局(観光部観光振興課 2224133)

「龍馬と歩く京のまち」散策マップの発行について

来年1月から放映のNHK大河ドラマ「龍馬伝」では京都がドラマの舞台として登場します。

そこで,京都市では,「京の冬の旅」キャンペーンをはじめ,全国での観光PRにおいて「幕末」や「坂本龍馬」をテーマとした宣伝を行い,京都観光の振興に取り組みます。

この取組の第一弾として,「龍馬と歩く京のまち」散策マップを下記のとおり発行しますので,お知らせします。

  1. 内容 坂本龍馬のゆかりの地をはじめとする幕末の史跡・名所等の地図と解説文,ウォーキングコースなどを掲載
  2. 目的 空前の歴史ブームが起こる中,大河ドラマを契機として,龍馬ファン・幕末ファンはもとより,数多くの観光客に「坂本龍馬」の足跡や「幕末」の歴史を辿りながら,京都の町を散策していただくことによって更なる観光誘客を図ります。
  3. サイズ A4判 オールカラー 全8ページ
  4. 作成部数 30万部
  5. 配布場所等 京都市観光案内所(JR京都駅2階),観光振興課(市庁舎1階),京都市観光協会観光情報センター,東京京都館情報コーナー,区役所・支所のまちづくり推進課などで無料配布します
  6. 配布時期 平成21年11月2日 月曜日から

龍馬と歩く京のまち

  1. ファイル名:p01.pdf サイズ:1.55 メガバイト
  2. ファイル名:p02.pdf サイズ:771.74 キロバイト
  3. ファイル名:p03.pdf サイズ:738.00 キロバイト
  4. ファイル名:p04.pdf サイズ:778.36 キロバイト
  5. ファイル名:p05.pdf サイズ:778.81 キロバイト
  6. ファイル名:p06.pdf サイズ:762.33 キロバイト
  7. ファイル名:p07.pdf サイズ:762.37 キロバイト
  8. ファイル名:p08.pdf サイズ:501.04 キロバイト

過去何度も書いているが「行政が歴史検証を行うって事は責任が非常に重いと感じる。出した情報・結果については行政のお墨付きとして広まるのだから。」というのがヲイラの考え方。だから萩ものがたりについても問題があるとしてきた。

今回のマップについても誰が監修したかなんて事は関係なく、最終的に行政が決済し発行したマップである事は間違いない。となればマップ内の断定した記述は、行政が歴史検証を行い史実と判断した事になるだろうし、そう取られても仕方ない。

「龍馬の足跡 2 三条~四条界わい 藩邸や志士の寓居が密集、志士たちが暮らした場所」を見ると「現在の京都ホテルオークラから御池通り南側までの広大な敷地が長州屋敷。」とある。

既に誰もが知っている事実として、強制疎開以前の御池通りは現在の北側歩道にあたる。その北側つまり押小路通りから御池通りまでが長州屋敷であり、北側歩道以南の現御池通り車道+南側歩道辺りが加賀藩屋敷。何故こんな事を間違うのだろう。

同ページ内に解説文は無いが旅館幾松が「幾松寓居跡」として地図上に記されている。

龍馬の足跡 2 三条~四条界わい 藩邸や志士の寓居が密集、志士たちが暮らした場所

三条~四条界わいマップ

他の多くがあくまで「碑」の紹介であるにも関わらず、幾松に関しては碑では無く「幾松寓居跡」となっている。確かにフィールドミュージアムでも幾松の碑については紹介されているが、それはあくまでそこに碑が存在するという事実の紹介でしかなく、碑にある「長州藩控屋敷」については未詳とわざわざ書かれている。歴史資料館ですら旅館幾松が主張する桂小五郎・幾松寓居跡との説が史実であるかの判断には踏み込んでいないのに、産業観光局観光部観光振興課は「幾松寓居跡」であると判断したようだ。

そればかりか幕末の史跡・名所として観光振興課が設定したウォーキングコースに組み込み、全国にむけて観光PRを行うらしい。観光偽装との呼び声が高い施設を行政が「史実です」と宣伝し、観光客誘致に利用するのか。さて根拠史料は何であったのだろう?

以前にも紹介したが寺田屋騒動直後に行われた普通決算特別委員会での永井久美子観光部長の答弁を紹介する。

京都市会会議録

委員(橋村芳和)

特に伏見に関しましては,一つの目玉が酒蔵であったりとか,十石舟というのがあるんですけども。寺田屋も大きな観光資源なんですけど,特に今年は,寺田屋自体がいったん燃えたやつやということで,週刊誌も載り,大変厳しく判定をしていけば事実関係と違うやないかという形の指摘があって,平成の寺田屋騒動が発生したんですけど。

それに関連して,幾つかのそうした建物であるとか旅館なりとかが史跡やと言うてるけど違うやないかという,ちょっと事実関係での議論がされておりますし,そやけど,京都の歴史は,厳密に歴史に判定してしもうたらかなり厳しい,伝説とか神話とか人物とかにまつわるという燃えた場所が幾つもあったりとかある中での一つの物語のまちですのでね。そやけど,寺田屋の場合は色々と変遷があって発生しておるんですけども。

こういったことについても,やっぱり京都市がき然と一定の考えを持って臨んでいかんことには,同じように思われてしもうたりとか,まだもっとあるんやないかとなってしまうと,やはりイメージを損ないますので。それについて何か文化市民局なりとまた連携をしながら取り組んでおられるんでしょうか。

観光部長(永井久美子)

この間の寺田屋の件につきましては私ども色々勉強しまして,思いましたのは,歴史的事実についてはやはり検証できない場合があったり,諸説があったり,同じような文献によりましても,研究者等によりまして御意見が違いましたり,様々でございます。このようなものにつきましては,歴史的見解につきましては研究者の研究等によって認識が深まっていくものだなという風に思っております。

ただ,それをお客様に御紹介される場合は,やはりその所有者が責任を持って御説明されるべきものだという風に思っております。例えば旅館で偉人が古い昔に泊まった,こういうものを残してくれたと。それは家に代々伝わっているものでございまして,それを私どもが真偽について検証するべきようなものではないと思います。それは持っておられる方が大切にされて,そのことをしっかりとお客様に伝えていかれるべきものだという風に思っております。ただ,その歴史的な検証について私どもに御相談があった場合は,歴史資料館等と一緒になって御支援をして参りたいという風に思っております。

史実や歴史的見解については難しいものとしながらも、紹介する場合は責任を持つべきであるとしている。官が民に対してこのような見解を述べる以上は、もし観光客が騙されたと感じた場合、どのような責任を負うのだろう。今回「幾松寓居跡」との断定した記述で紹介したのだから、責任を持って相当な歴史検証した結果なんだろうし、もしそうでは無いのなら今すぐ回収すべきだな。

他にも武信稲荷神社については「ここで龍馬とお龍が逢っていたとの伝説がある。」と、こちらは伝聞として記しているが、この話が何時誰によって広められたのかを理解した上で伝説と書いているんだろうか。たぶん監修の木村武仁氏ですら知らないんだろうな。

実名は伏すが龍馬研究家として有名な某氏が六角獄舎の調査に出かけた際、立ち寄った武信稲荷神社やその周辺の住人に対して話したのが最初。もちろんその時点で武信稲荷神社側は初めて聞く話。某氏がどんな史料を基にそのような話を伝えたのかはわからない。うがった見方をすれば某氏の創作かもしれないし。少なくとも伝説と呼べるほど昔から伝わる話では無く、ある日突然出てきた話。当然の事ながら武信稲荷神社が龍馬にゆかりがあるのかすらわからない。

又寺田屋の解説では焼失・再建については一切触れていない。伊東宗裕京都歴史資料館歴史調査担当課長によるあれほどの調査報告書が存在し、京都市として不適切な案内に指導を行ったにも関わらず、触れないってのはどんな理由があるのだろう。ちゃんと焼失し再建されたものと解説すれば良いと思うのだが。まさか今さら営業妨害と提訴されることを恐れているのだろうか。

更に近江屋跡(坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地碑)の解説では「暗殺者は諸説あるが、京都見廻組説が有力とされている」としているが、現地の駒札(解説板)には「十津川郷士と称する男たちによる襲撃を受けた。」と見廻組説を否定するかのような文になっている。一体どちらが行政としての責任ある説明なんだ?

駒札の解説文については産業観光局の職員がネット検索を行い、「多い情報なら安心だろう…」ぐらいの認識で作成されたと聞く。先の答弁にある「歴史資料館等と一緒に」といった段階は踏まれていない。

寺田屋騒動に関しては再建であるかどうかより、縦割り行政によるダブルスタンダードが最も問題であったと理解している。では産業観光局は寺田屋騒動で何を学んだのか?解説文の作成や今回のマップ作成にあたり、騒動での経験がどう生かされたのか?ヲイラ的には何も学んでいないようにしか思えないし、学んでいない以上何も生かされていないように感じる。

マップに書かれた内容は今後「行政のお墨付き」として広まる事は明らか。それに対して行政というより産業観光局はどのような責任を負いどう対応するんだろう。又財政難により再建団体への転落が危惧されている時、血税を使ってまで観光客を騙す恐れのあるマップを作成させた責任を市長はどう負うのだろう。

最初に「誰が監修したかなんて事は関係なく」と書いたが、もし監修の木村武仁氏に対して対価を支払っているのであれば、木村武仁氏の責任も追及するべきだと思う。「幾松寓居跡」と断定した記述で全国にむけて観光PRを行うのだから、是非根拠史料を明らかにして欲しい。

何度でも書く。行政が歴史検証を行うって事は責任が非常に重いと感じる。出した情報・結果については行政のお墨付きとして広まるのだから。

コメント

nakaさん、こんばんは!
はじめまして。

「幾松寓居跡」は確かに頭を悩ませまして、「木戸松子寓居跡」にするか石碑の通り「桂小五郎幾松寓居跡」にするかいろいろ考えました。
ただ、このマップを見て史跡巡りをする方は、「木戸松子が幾松とは分からないだろう」ということになりました。
そして最終的に石碑の紹介ということで「幾松寓居跡碑」にしたと思うのですが、出来上がったものを見ると「幾松寓居跡」になっています。
ただ、これ以外に20数カ所修正しましたので、私の記憶違いかもしれません。
明日、編集した方に確認をとってみます。

  • 2009/10/30(金) 00:12:42 |
  • URL |
  • 木村武仁 #LkZag.iM
  • [ 編集 ]

木村武仁 さん、はじめまして。

監修者ご本人にわざわざコメント頂き恐縮です。

> そして最終的に石碑の紹介ということで「幾松寓居跡碑」にしたと思うのですが、出来上がったものを見ると「幾松寓居跡」になっています。

経緯については公表されていませんので判断できかねますが、マップを見る限りではあくまで碑の紹介であって史蹟の紹介とは別であると読みとる事は無理だと感じますし、そのような説明も記されていません。

旅館幾松に限って言えば、旅館が発信する情報をメディアや歴史研究者が右から左に垂れ流す事によって、情報量は増えても質の高い情報は少ない現状ですので、何らかの関係・ゆかりがあったと示す事すらできない施設だと思います。

そんな情報を行政が税金を使い発信する事が、果たして税金を公平・公正に分配する行政本来の趣旨に即していると言えるのか甚だ疑問です。

もし旅館幾松が木戸孝允・松子ゆかりの施設であると判断できる史料が存在するのなら是非ご教示ください。それにより未だに場所を特定できない多くの史蹟が判明する事になりますので、歴史的な発見と呼べるかもしれません。

> ただ、これ以外に20数カ所修正しましたので、私の記憶違いかもしれません。
> 明日、編集した方に確認をとってみます。

結果を教えて頂ければ幸いです。

  • 2009/10/30(金) 01:47:32 |
  • URL |
  • naka #upkHALyQ
  • [ 編集 ]

あら…。
レスしてから気付いた…。

木村さんのコメントって東京龍馬会掲示板とマルチポストだったんですね。
http://www.tk-ryoma.com/patio/read.cgi?no=322

  • 2009/10/30(金) 01:56:10 |
  • URL |
  • naka #upkHALyQ
  • [ 編集 ]

nakaさん、こんにちは!
一度直接会えませんでしょうか?
私と編集を担当した京都新聞出版センターの方、京都市の担当者とnakaさんの4人を考えています。

また私は「料亭旅館幾松」を「木戸松子寓居跡」だと認識しているのですが、その部分でも意見が相違する場合は、幾松さんにも来てもらうようにお願いしないといけないと思っています。
来てもらえるかどうかは分かりませんが。

宜しくお願い致します。

  • 2009/10/30(金) 16:20:28 |
  • URL |
  • 木村武仁 #LkZag.iM
  • [ 編集 ]

nakaさん、こんばんは・・・。
今回の件ですが、パンフレットにある問い合わせ先で対応されることに決まりました。
申し訳ございません。

  • 2009/10/30(金) 18:13:31 |
  • URL |
  • 木村武仁 #LkZag.iM
  • [ 編集 ]

木村武仁 さん

既に監修者・編集者の手を離れている事案ですので、産業観光局観光部観光振興課が対応されるのが当然だと思います。木村さんの面談要請や旅館幾松への聞き取り調査・資料提供のご提案については違和感を感じました。もしそれらを行政が認めるのなら、問題を認識せず本末転倒な対応と言わざるを得ません。

行政が発信する情報であれば、事前に充分な調査・検証があって当然です。相違する意見が存在するのか、施設側の発する情報の根拠が何であるのか等々を調査・検証した結果、紹介する場合にはどのような表現を用いるのが最も適切であるかまでを熟考した上で発信すべき問題です。それは観光部長が答弁された「責任をもって説明する」に含まれる事でしょう。

ですのでヲイラは血税を使い実施された事業である以上は、きっちり議会の場で問われるべきだと考えています。もし財政総務委員会で確認される議員さんがおられるなら、維新を語る会さんの調査結果、ヲイラの調査結果を資料提供しようと思っています。

参考程度に申しあげれば、維新を語る会さんは松子夫人直筆の書簡(写し)や生咲家から分析を依頼された多くの史料もお持ちですし、菩提寺での聞き取り調査等により生咲家の系譜もほぼ把握されています。又忠太郎氏についても同じです。ヲイラも多くの史料を頂戴していますが、世に出回っている木戸夫妻、特に松子夫人や忠太郎氏に関する書籍の多くが、孫引きで書かれたいい加減なものである事が良くわかります。

又木屋町の二条三条間についてはヲイラも相当深いところまで調査し、幕末以降の住人・商人の推移やまちなみの変遷についてはかなりのところまで判明しています。情報交換している周辺地域の方から貴重な資料も多々ご提供頂いていますし、お宝が残されているであろう場所を絞込み順次調査させて頂いておりますので、木戸松子については維新を語る会さん、木屋町の二条三条間についてはヲイラ、それぞれ質量共に一番の調査・研究をしていると自負しております。

当該地域には旅館幾松の場所を含め長州藩と密接な関係であったところが複数あることは事実ですが、旅館幾松が木戸夫妻寓居跡・長州藩控屋敷と判断できる史料は未だ見つかっていません。ですので桂小五郎幾松寓居跡・木戸松子寓居跡・幾松寓居跡・木戸夫妻寓居跡・長州藩控屋敷跡、書き方が何であれ、根拠史料の提示も無しに断定した表記でさも史実であるかのように扱われた場合反論するしか無いわけです。

仮にそのような史料が発見できれば、大村益次郎遭難地である2番路地の旅宿や木戸公が暮らした5番路地、松子夫人が忠太郎と暮らした13番路地、終焉地である寄留所、又池田屋惣兵衛夫人・娘が営業した旅館等も一度に判明する事になります。ヲイラの中では9割方確定していますが、一級史料が見つからない為発表には至っていません。

  • 2009/10/31(土) 12:44:24 |
  • URL |
  • naka #upkHALyQ
  • [ 編集 ]

nakaさん、こんばんは。
丁寧なご返事ありがとうございます。

以前から、「維新を語る会」やnakaさんが真摯な姿勢で調査をされていることは知っておりました。
また今回改めて過去の記事も読ませて頂きました。

何の価値もありませんが、今回、私や編集担当者がこの件に関しては非常にシリアスに考え、慎重になっていたことだけは確かです。
また京都市さんもそうだったと聞きました。
それ・・・、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

【伏せ字にするという無礼をお許し下さい。】

  • 2009/10/31(土) 22:01:30 |
  • URL |
  • 木村武仁 #LkZag.iM
  • [ 編集 ]

木村武仁 さん

> また今回改めて過去の記事も読ませて頂きました。

ありがとうございます。
できれば萩ものがたりに関するエントリ-も御覧いただきたかったです。

> 何の価値もありませんが、今回、私や編集担当者がこの件に関しては非常にシリアスに考え、慎重になっていたことだけは確かです。
> また京都市さんもそうだったと聞きました。

決して慎重であったかどうかだけを言及しているつもりはありません。監修者については「誰が監修したかなんて事は関係なく」としていますし、編集者についてはそもそも考えてもいません。問題としているのは行政が歴史検証を行う事の責任の重さです。

まだ記憶にあたらしいかと思いますが昨年起こった寺田屋騒動。あの時産業観光局は何故歴史資料館に調査依頼したのか、又その結果として作成された報告書が何故あれほどのボリュームになったのか。

前者は産業観光局だけで調査・検証を行えないと判断されたからでしょうし、後者は行政としての責任の重さを理解されていたからだと考えています。

焼失・再建だけに関してもあれほど慎重な調査が必要であるなら、今回マップに記載されたひとつひとつについて同程度の調査・検証が行われたのでしょうか。

「そんな事をいったら何もできない」との意見もあろうかと思いますが、できないのならすべきで無いと思います。それが責任を負うという事でしょうから。

そもそも論でいえば歴史観光都市京都にとって歴史・史蹟は大切な観光資源です。ですがその歴史・史跡を観光に結びつける際の明確なルールは存在しないようです。存在しないから行政内でダブルスタンダードが生まれる。このような状態が何時まで経っても解消されないばかりか、問題視されていないようにすら感じます。行政が歴史を扱う際慎重に行うとは、先ずそういった問題を解消する事では無いでしょうか。

今回紹介されている碑だって所有権が明確で無いものばかりですし、民地に建立されているものがほとんどです。地権者の判断で明日廃棄されても誰も文句は言えませんし、それを止める術はお願いしかありません。マップで紹介された碑が次々と廃棄されたとしたら、「えっ?紹介よりも保存に力をいれるべきでしょ。」と思うのでは無いでしょうか。

話がそれましたが、今回のマップの内容は全て行政の御墨付きと判断されても良い。そこまでの自信を行政がお持ちであるのなら構いません。しかしそうで無いのなら問題ですし、そうで無いと感じるから言及しています。

  • 2009/11/01(日) 09:00:47 |
  • URL |
  • naka #upkHALyQ
  • [ 編集 ]

nakaさん、こんばんは!
そうそう、確認を取った話をお伝えしていませんでしたね。
「校正紙はすでに破棄しました」との答えでした。
nakaさんにこういう事を言っても仕方ないのですが・・・・私がJOKERを引いてしまったようです。

  • 2009/11/04(水) 03:22:19 |
  • URL |
  • 木村武仁 #LkZag.iM
  • [ 編集 ]

木村さん
ご報告ありがとうございます。

  • 2009/11/06(金) 16:35:18 |
  • URL |
  • naka #upkHALyQ
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