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よっぱ、酔っぱ。ただの酒飲みでよっぱなヲイラの戯言です。

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高瀬川の舟入。

Category : 歴史

高瀬川舟入跡の碑について。


【ここから続き】

木屋町三条四条間の高瀬川左岸に、「五之舟入」から四条上ルの「九之舟入」まで五本の碑が建立された。先ずは除幕式を伝える京都新聞の記事から。

Kyoto Shimbun 2009年11月19日(木)

高瀬川沿い「舟入」跡に石碑建立 木屋町共栄会など「歴史知って」

京都市中京区の木屋町通沿いの商店主らでつくる木屋町共栄会などがこのほど、通りを流れる高瀬川沿いにあった「舟入」跡に石碑を建立し18日、建立を祝う式典があった。

運河として掘削された高瀬川沿いには江戸時代、各藩の京屋敷や材木商などが立ち並び、舟を引き入れて物資を積むための舟入がいくつもあった。現在は、木屋町通二条下ルの「一之舟入」をのぞいては失われている。

石碑は、高瀬川沿いの三条下ル「五之舟入」から四条上ルの「九之舟入」跡まで5本を建立した。京の流通を支えた木屋町の歴史を知ってもらおうと、同共栄会と立誠高瀬川保勝会が実施し、高瀬川の歴史に詳しい石田孝喜さん(85)が監修した。舟入の場所は、過去の記録や聞き取りなどで特定した。

この日の式典には、商店主ら10人が出席し、石碑の建立を祝った。共栄会の塩山大介会長(56)は「建立をきっかけに、より多くの人に木屋町を訪れてほしい」と話していた。

一応魚拓

石田氏の研究で高瀬川に9箇所の舟入があったとされているのは事実。だが常に9箇所の舟入が存在したわけでは無く、時代によって舟入の数は異なっているというのがヲイラの認識。

1611年開削当初はたぶん3箇所ぐらいで(一の舟入、四の舟入、九の舟入)、その後7箇所に増え、更に二の舟入、六の舟入が追加されて9箇所になった。1740年頃までが9箇所時代で、その後の180年間は7箇所時代。でもって大正以降は順次埋め立てられ舟入は「一の舟入」1箇所だけになった。

「せぇ~~の!」で9箇所の舟入が作られたとか、9箇所作る計画で順次着工されたってのなら分かり易いんだけど実際はそうでも無いし、石田氏が調査された史料でも9箇所全てが記載されているものは存在しないみたい。

でもって今回の碑建立なんだけど、実は五本の碑を建立しただけでは無い。既存碑の移設もされている。今回三条から南に五本の碑を建立するって事は、三条から北に4箇所舟入が存在しなければ数が合わなくなってくる。ところが三条から北には「一の舟入」「二の舟入」「三の舟入」の碑が既に存在している。だから「二の舟入」「三の舟入」の碑をそれぞれ一つずつ北に移動し、今後これまで「三の舟入」の碑があった場所に「四の舟入」の碑を建立するみたい。

碑が移動されたって事は、「いしぶみデータベース」の解説と矛盾してくるんだけど、既に修正され新しい碑についても追加されていた。

開鑿当初は二条~四条間に7か所作られ,17世紀末には9か所に増え,江戸時代中期には再度7か所に減少した。

この碑は9か所時代の*番目の舟入跡を表示するものである。

なるほどね。さすが伊東さんだわ。

舟入の数・場所について調べているときふと疑問に感じんだが、舟入が増える時、最南部に追加されるのであれば、簡単に呼び名を追加すれば良い。だが最南部では無い場合それまでの呼び名が突然変わることになる。例えば二の舟入と三の舟入の間に新しく舟入が作られると、新しい舟入が三の舟入となりそれまでの三の舟入は四の舟入となる。割り込まれて別名で押し出されるって事。本当にこんな事が行われていたんだろうか?でも一の舟入については町名にまでなっているのだから、確実古くからそう呼ばれていたはず。

全く根拠の無い推測だけど、ヲイラは藩邸の名前等で呼んでいたんじゃ無いかな?と考えた。たとえば毛利邸にあったとされる二の舟入なら「長門の舟入」とかね。それなら新しく舟入が作られても名前を変える必要なんて無いんだし、第一名前から場所がすぐにわかるからね。それに「長門」って言葉も「長門の図子」って通り名になっていたんだから、当時は十分認識されている言葉だったはず。

っで舟入の名前についてあれこれ探してみたんだけど、どれも石田氏の著書から孫引きされたように感じるものばかり。ここで気付いたんだけど伊東さんの解説文を読み直すと「*番目の舟入跡」って書き方になってるや。何かヒント無いかなとフィールドミュージアム探ってみるとめっけ!

フィールドミュージアム

舟入

なお一之舟入以外の舟入を「~之舟入」と助数詞を附けてよぶことは、江戸時代の古地図や地誌類には見られず、比較的新しい呼び名だと考えられます。

やっぱりね。

まぁ最近流行っている「此付近」よりかは遥かに正確だけど、ひとつの説だけを基に建立し、他説に基づく既存碑を移動するってのは少々乱暴な気はする。「五之舟入」から「九之舟入」の建立だけにし、数については解説板を設けるってやり方でも良いと思うけどね。

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