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よっぱ、酔っぱ。ただの酒飲みでよっぱなヲイラの戯言です。

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平井収二郎寓居

Category : 歴史

遅くなったけど平井収二郎寓居について。


【ここから続き】

先ずは現在の木屋町御池三条間の航空写真。

20100102002

このままだと何がなんだかわからないだろうから、元々の筆界と地番、それと現在どこかで寓居と紹介されているものを加えてみる。

20100102003

平井収二郎寓居は丁度中央辺りの現在駐車場になっている場所。

20100102005

元々は井筒屋幸次郎が地権者で明治になってから向月楼という貸し席屋になっている。その後玉川楼に変わり昭和になって佐々木旅館となった。

佐々木旅館が売られ、その建物が壊されるまでは旅館入り口に京都市教育会が建てた「平井収二郎寓居跡」という駒札が存在した。駒札の画像はたぶん残っていないし、京都市の駒札検索でも解説文は残っていないみたい。もし画像・解説文を保存されている方がおられれば教えて頂きたい。

佐々木旅館・駒札について補足すると平成の最初頃、この辺りに葬儀場建設計画が持ち上がった。施主はセレマ、近畿以外ではベルコというほうが分かり易いかな。

20100102004

白く塗った部分に葬儀場を建設する計画で周辺を買い漁っていたが、赤い部分の買収に失敗したため計画は中止された。駒札は解体工事の際廃棄された。地権者が民地をどうしようと勝手だから文句は言えないが、至るところで葬儀場問題を起こしてきたセレマだから、歴史や社会貢献ましてや地域との共生なんて考えは全く無かったのだろう。せめて駒札を保存するぐらいはできたと思うのだが。

現在同地の駐車場はセレマの開発事業でダミー会社(反対運動を避けるために施主と偽る為の会社)として有名な「さくら相互」が管理・営業している。

話戻って2枚目の写真なんだけど、「桝屋藤十郎」「入江亭」についてはこちらを。「宇喜多一恵寓居跡」については石田氏だけが「ここ!」って言ってるんだけど、後年発行された自著には記載されていない事から、間違いと判断されたのかもしれない。

平井収二郎寓居跡については、京都市教育会の駒札が確かにそこに存在したってだけで、京都市教育会がどんな史料を基にそこと判断したのかはわからない。

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