AX

よっぱ、酔っぱ。ただの酒飲みでよっぱなヲイラの戯言です。

スポンサーサイト

Category : スポンサー広告

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

“幕末”を食べる!

Category : 歴史

しょぼ…。


【ここから続き】

現在中村武生氏を講師として開講されている「NHK文化センター京都教室“幕末”を食べる!」の第二回講座が幾松で開催された。

以前氏が幾松を擁護されたブログについてはこちらで書いているが、「孝允の没後、木戸松子のついのすみか、すなわち終焉地がここである可能性は高い。その根拠は、ちかい将来、どういう形になるかわからないが、必ず公表したいと思う。」とまで書かれていたのだから、今回はその根拠を明らかにされるものと思っていた。いや明らかにした上で開催地に選ばれたのだと。

ところが氏のブログ「幾松で木戸孝允居所論をする魚拓」では、「維新後の木戸孝允の京都の居住地を、当人の日記や書翰によって検討した。原則木屋町に住んでいるが、土手町や三本木にも住宅を持っていたことを紹介した。」これだけ。

土手町は置いといて、三本木は新島襄関連でちょこっと出てくるが、これも場所は特定されていない。瀧中の場所では?って説が有力だけどわかんない。

木屋町については5番路地であったことは確か。でも5番路地がどこかはわからない。第一幾松の場所に路地が存在したのかすら明らかでは無い。仮に今回の講座を開催したことから、5番路地が現幾松であるとするのなら、木戸松子の終焉地は13番路地であるため異なる事になり、「木戸松子のついのすみか、すなわち終焉地がここである可能性は高い。」は間違いとなる。間違いであるから何時まで経っても根拠を公表できないのだろう。同時に間違いを認めれば幾松が発信している情報も間違いと認める事になる。

より正確に書けば木戸公の5番路地、木戸公没後の松子夫人ついのすみかである13番路地、そして松子夫人終焉地である18番の寄留所、この3ヶ所を明らかにする必要がある。それを今さら日記や書翰によって検討し、木屋町・土手町・三本木に住まいを持っていたと紹介しているようでは、しょぼいとしか言いようが無い。

「いや他にも色々検討・紹介していますよ」と仰るのであれば、そのように書かれれば良い。第一回の幕末をたべた―二軒茶屋中村楼は画像入りの長文を書いているんだし、龍馬伝については更に饒舌に述べているんだから。

コメント

コメントの投稿

  • 投稿前に必ずお読みください。「はじめに-コメント
  • スパムが激増しているためコメントは承認制にしております。
  • 承認までコメントは表示されません。

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://yoppa.blog2.fc2.com/tb.php/603-f21246e2
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。